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仙台地方裁判所 昭和49年(ワ)918号 判決

原告 小田島専司

〈ほか三八名〉

右原告ら訴訟代理人弁護士 斎藤一好

同 徳満春彦

同 杉山悦子

右斎藤訴訟復代理人弁護士 山本孝

被告 日本国有鉄道

右代表者総裁 高木文雄

右訴訟代理人弁護士 林久二

同 佐藤昭雄

右指定代理人 成田謙

〈ほか一名〉

被告 京成運輸株式会社

右代表者代表取締役 佐久間行夫

右訴訟代理人弁護士 神田洋司

同 飛田政雄

同 弘中徹

同 永倉嘉行

同 長谷川久二

主文

一  被告日本国有鉄道、同京成運輸株式会社は、各自、別紙(一)「原告別請求・認容額一覧表」記載の原告のうち、番号1ないし6、8ないし38の各原告に対し、当該原告欄の「認容額」欄記載の各金員及び右各金員に対し、被告京成運輸株式会社は昭和四九年七月一二日以降、被告日本国有鉄道は同年一二月一二日以降、各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告京成運輸株式会社は別紙(一)「原告別請求・認容額一覧表」記載の原告のうち、番号39の原告に対し、同原告欄の「認容額」欄記載の金員及びこれに対する昭和四九年七月一二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告石川孝子の被告らに対する請求及び原告佐々木正の被告日本国有鉄道に対する請求並にその余の原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、原告石川孝子と被告らとの間の分は同原告の負担とし、原告佐々木正と被告日本国有鉄道との間の分は同原告の負担とし、原告佐々木正と被告京成運輸株式会社との間の分はこれを五分し、その三を同原告、その余を同被告の負担とし、その余の原告らと被告らとの間の分はこれを四分し、その一を被告らの、その余を同原告らの負担とする。

五  この判決の第一、二項は仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告らは各自原告らに対し、別紙(一)「原告別請求・認容額一覧表」のうち「請求額」欄記載の各金員及びこれに対する昭和四九年七月一二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告ら

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  原告らの年齢、職業は別紙(二)「原告らの損害及び請求金額一覧表」の各該当欄記載のとおりである。

2  原告ら(但し原告佐々木正を除く。)はいずれも昭和四八年九月八日被告日本国有鉄道(以下被告国鉄という。)仙山線の仙台発山形行下り急行列車「仙山一号」(同被告の被用者工藤英夫運転士運転、六両編成。)の先頭車両に乗車していたものであるが、同日午前一〇時三五分頃、同列車が宮城県宮城郡宮城町愛子東五の三、仙山線愛子、陸前白沢間の第三・二軒在家踏切(以下本件踏切という。)において、被告京成運輸株式会社(以下被告京成運輸という。)所有の大型貨物自動車(同被告会社の被用者佐々木則夫運転手運転。)と衝突して、同列車車両は進行方向左側に脱線転覆し、(以下本件事故という。)、そのため原告らはいずれも強烈な衝撃と共に後記のとおり重傷を負い、精神的、物質的に多大の損害を被った。

3  被告らの責任

(一) 被告国鉄の責任

(1) 本件列車の運転士である前記工藤英夫は本件踏切にさしかかる前汽笛を吹鳴しないなどの列車操作上の過失があったもので、被告国鉄は被用者である右工藤の被告国鉄の業務の執行につき原告らに加えた損害を民法七一五条により賠償する責任がある。

(2) 被告国鉄は、本件踏切に踏切遮断機、警報機等事故防止に必要な設備をなすことを全く怠っていたものであり、又本件踏切付近には雑木等が生い茂り見通しを妨げていたのにこれを伐採することなく放置していたもので、土地の工作物の設置、保存に瑕疵があったものであるから、民法七一七条により損害賠償責任がある。

(3) 右(1)、(2)が認められないとしても、被告国鉄は商法五九〇条により旅客運送人として旅客である原告らが運送のために受けた損害を賠償する責任がある。

(二) 被告京成運輸の責任

同被告の被用者である前記佐々木則夫が、同被告の事業のため大型貨物自動車を運転し本件踏切にさしかかったが、踏切手前で一時停止などの安全確認措置を怠って踏切内に進入した過失により本件事故を発生させたものであるから、同被告は民法七一五条により使用者として損害賠償責任を負う。

なお右佐々木は本件につき業務上過失傷害罪で起訴され、有罪判決が確定しているのであって、このことは、本件踏切の瑕疵、視界不良及び前記工藤運転士の過失によって右佐々木が免責される性質のものではないことを示すものであって、被告京成運輸に使用者責任があることは明らかである。

(三) 被告国鉄の前記(一)の(1)、(2)の不法行為と被告京成運輸の被用者である佐々木の前記(二)の不法行為とは共同不法行為の関係にあり、これによって原告らが被った損害は、すべて被告国鉄、右佐々木及び同人の使用者である被告京成運輸が連帯して賠償する責任がある。

4  原告らの損害

原告ら(但し原告佐々木正を除く。)は、本件事故により、別紙(二)「原告らの損害及び請求金額一覧表」の「損害の内容」欄、「受傷の内容」欄記載のとおりの傷害を受け、同表「損害の内容」欄、「治療の内容」欄記載のとおり入院及び(又は)通院するなどして治療をしたが、同表「損害の内容」欄記載のとおり後遺症を残した者が多く、又同表「積極損害」欄記載のとおり衣類、身廻品等が破損し又は紛失した。

そのため原告らは、同表「損害の内容」欄、「積極損害」欄記載のとおり、衣類、身廻品等の破損紛失による損害を受け、治療費、通院交通費、諸雑費、薬品代、診断書料、湯治費用、付添看護料、栄養費、コルセット代、等を要して同額の損害を受け、又前記のとおりの職業であるところ、同表「休業損害」欄記載のとおり、休業を余儀なくさせられ売上が減少して得べかりし利益を失ない、又は臨時の店員を雇い同人に給料を支払うなどして、同欄記載の損害を受け、更に原告らは前記のとおり傷害を受けて入、通院し、後遺症を残し同表「損害の内容」欄記載のとおり精神的苦痛を受け、中には温泉治療費等を出費しながらこれを積極損害に算入しない原告もあるので、同原告については右の点をも考慮し、原告らに対する慰謝料としては控え目にみても同表「慰謝料」欄記載の金額を下らないというべきである。

原告らは本件事故による損害賠償請求につき原告ら代理人弁護士に委任して本訴を提起することを余儀なくさせられ、右弁護士費用として請求総額の一割という約束で報酬契約を締結したが、右費用は被告らが支払うべきものであり、その金額は同表「弁護士料」欄記載のとおりである。

以上の原告らの損害の総額は同表「損害総額」欄、別紙(一)「原告別請求、認容額一覧表」中「請求額」欄記載のとおりとなる。

なお原告らの損害については次の点が考慮されるべきである。

(一) 精神的損害について

(1) 原告ら(但し佐々木正を除く。)はいずれも本件列車に乗客として乗車中に本件事故に遭遇したものであって、被告国鉄の安全運転につき一点の疑も抱いていなかった右原告らの本件事故による精神的衝撃は到底言語に尽せないものがあった。

右原告らはほとんど頭を下にして折り重なって倒れ、椅子などに身体の各部を打ちつけガラスの破片で負傷し血を流すなどまさに阿鼻叫喚の状況を現出した。

このためその悪夢のような経験は長期間にわたって原告らを脅かし続けている。

(2) 原告らの負傷の状況は一様ではないが、原告らに共通していることは原告らがいずれも薬局薬店の店主、又はその家族、従業員であったことである。

薬局薬店の経営規模はおおむね小さく、原告らが負傷して入院し又は休業すれば経営は不可能となりその間閉店を余儀なくさせられる。

競争の激甚な業界では長期間休業するときは直ちに顧客を他の店にとられてしまうという結果となる。

従って、もし原告らのような境遇にない者であれば入院又は通院して充分な治療をすることができるのであろうが、原告らは無理をして未だ充分に全治していないのに退院し、或は通院すべきところを通院せず自宅療養を余儀なくされているのである。

又薬局、薬店であるため薬剤が手近にありできる限り医師の手を煩わさないで済まそうとしている。

よって原告らの入、通院日数は、最近交通事故の慰謝料算定方式として慣行化しているような基準では全く律し得ないものである。

(3) 本件事故後原告らの多くは被告国鉄の経営する仙台鉄道病院の医師の治療を受けているが、右病院においては、自ら運行している列車転覆の被害者である原告らに対してはその救援と治療に全力を挙げるのが当然である。

然るに右病院における治療はおざなりであり、ここで治療を受けた原告らは異口同音にこれを非難している。

それだけではなく、右病院の医師らは診断書を作成するに当って殊更に原告らの傷害の程度を軽くみせ、或は傷害と事故との因果関係を否定しようとする傾向がみられる。

(4) 原告らの予後及び後遺症についても、冬診断書の記載は不充分である。それは第一に医師の診断の前提は本人の愁訴にあるが、原告らは主に女性であり、かつ我慢強い東北人の常としてこの愁訴が充分なされなかったため障害について医師が充分に把握していなかったことであり、第二は、原告らが前記のように未だ完全に治癒されないうちに退院したり通院を止めたりしているため診断のうえに充分反映されなかったことによるものである。

従って、原告らの予後及び後遺症については、本人尋問の結果によってはじめてその実態が明らかにされたというべきである。

(5) 以上のような観点からすれば、原告らの本件各慰謝料の請求は控え目なものであると言わねばならない。

(二) 財産的損害について

(1) 原告らの休業損害については、原告らの経営が小規模であり、原告らの被った収益減少額は計数上に表われたものよりもはるかに大きいものである。

しかも昭和四八年九月の事故直後はいわゆるオイルショックの直後のことであり、その後の一、二年は医薬品が非常によく売れ例年になく収益が上ったときである。

従ってその際の売上低下はより多くの得べかりし利益を喪失したことになる。

(2) 原告らの使用した医薬品はいずれも自家販売用のものであり、原告らの傷害に対し要求されるものとしてはすべて必要なものであるから、これらの医薬品の服用は本件事故の損害の一部を構成することは当然である。

5  よって被告らに対し各自別紙(一)「原告別請求・認容額一覧表」のうち「請求額」欄記載の各金員及びこれに対する弁済期後である昭和四九年七月一二日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告国鉄の認否と主張

1  請求原因1項の事実は不知。

2  同2項の事実中、原告佐々木正を除くその余の原告らが列車先頭車両に乗車していたとの点は不知、右原告らの傷害の部位、程度及び損害は争う、その余は認める。

3  同3項の事実中本件踏切に踏切遮断機、警報機が設置されていなかったことは認め、被告国鉄に対する帰責原因の主張は全部争う。

原告ら主張の衝突事故とこれによる損害の発生は後記のとおり被告京成運輸の自動車運転手佐々木則夫の過失に基因するものであって、被告国鉄に帰責事由はない。

4  同4項の事実中原告らが薬局、薬店の経営者又は家族、或は従業員であること、原告小田島専司、同佐々木正が男性であるほかその余の原告らが女性であることは認め、その余は争う。

5  同5項は争う。

6  本件事故は、被告国鉄の帰責事由に基因して発生したものではなく、被告京成運輸の本件事故自動車運転手である前記佐々木則夫の本件踏切通過に際しての安全確認義務を怠った重大なる過失に基因するものであり、従って被告国鉄には何ら責任がない。

(一) 本件踏切道の保安設備に瑕疵はない。

(1) 仙山線は甲種線区であり、本件踏切道における本件事故当時の一日当りの鉄道交通量は三五であり、一日当りの道路交通量は一、一八八ないし一、三二六であって、次に述べる踏切道付近の状況及び見通し距離などからしても危険な踏切ではなく、踏切道改良促進法に基づく踏切道の保安設備の整備に関する運輸省令の定める基準によっても本件踏切道は、第四種踏切として踏切遮断機、踏切警報機を設置すべき踏切道に該当しないのでこれを設置する必要はなかったものである。

(2) 即ち、本件踏切道は、国道四八号線から町道を南へ一五八メートル入った地点にあり周囲は草原や梅林で、線路の南側に人家二、三軒程、倉庫一軒があるだけで、交通量の殆んどない閑散地域である。従って、危険性の少ない踏切道であり、又電車の警笛進行音などを妨げるものはないので、自動車運転手が意識しておればこれらを聴きとることができるものである。

(3) 本件事故当時における本件踏切の「見通し区間の長さ」(踏切道における最縁端軌道の中心線と道路の中心線との交点から、軌道の外方道路の中心線上五メートルの地点における一・二メートルの高さにおいて見通すことができる軌道の中心線上当該交点からの長さをいう―同省令別表第三)は、右側(山形方向)において、起点(仙台)寄一五〇メートル、終点寄二〇〇メートルであり、本件事故自動車の運転席における運転手の目の高さ(地上より二・三五メートルないし二・四〇メートル)において、踏切道における最縁端軌道の中心線と道路の中心線との交点(以下基点という。)から右事故自動車の先端を北方に一・九〇メートルの地点においた場合、自動車運転手から起点寄りの列車見通し距離は、踏切敷地の東端から四六三・四〇メートル、同様事故自動車の先端を二・四〇メートルの地点においた場合は四〇二・七〇メートル、二・九〇メートルおよび三・四〇メートルの地点においては三八一・〇〇メートル、三・九〇メートルの地点においては二九八・六〇メートル、四・四〇メートルの地点においては一七五・一〇メートル、四・九〇メートルの地点においては一一四・七〇メートル、五・四〇メートルの地点においては八四・〇〇メートル存する。

(4) 被告京成運輸は、本件踏切から左方の見通しは、踏切の東方(仙台方向)の線路沿には雑草が繁茂し、高さ一・二メートルに及ぶものも多数林立しており、踏切から東方一五メートルのところに松の木一本、二五メートルのところに栗の木二本があり、これらには幹を覆うように雑草がからみついて本件踏切は雑草および樹木のため著しく見通しの悪い状況であったが、被告国鉄はこれを放置していた旨、また、被告国鉄は、事故日から五日後に行なわれた実況見分の日までの間に、松の木および栗の木にからみついていた雑草を除去し、踏切付近に繁茂していた雑草をも刈り取り、更に検察官が行なった実況見分のときには雑草類は枯死していたのであるから、事故当時の本件踏切の見通しは、右各実況見分当時よりよくなかった旨、主張し、甲第四二号証実況見分調書添付の写真五、六(乙第五号証写真五、六)を見ると、樹木につた草がからみついて、それが踏切からの見通しを妨げているように写し出されている。

しかし、右各写真は、本件踏切道の山形寄りの方から見て線路右側の方から撮影されたために見通しを妨げるように写し出されたものであることは同号証の写真三七により明らかであり、この写真と乙第一一号証の写真によると、つた草がからみついていたのは栗の木であって、松の木には殆どつた草がからみついていなかったことが認められる。そして、甲第四二号証および検証調書によると、右松の木は検証調書添付図面第二図記載の基点から東方に一九・一メートル、栗の木は同基点から東方各二八・九メートルの所に生立していたこと、その生立地点は国鉄所有地外であって、線路の中心線から北方に直線にして、松の木は五・三五メートル、栗の木は五・六メートルと六・九メートルの場所であったことが認められるのである。してみると、本件踏切道を通る者は、本件踏切道の交角は一〇〇度で、ほぼ直角に近いものであるから、基点から五・三五メートル手前で障害物である松の木と並ぶことになる。仮にこの松の木に証人笹原茂夫が供述するように、手を広げたほどのつた草がからまっていたとしても(仮にこれを一メートルとしても)、基点から四・三五メートル手前で障害物と並ぶことになる。

また、右各写真(事故当時の写真)と甲第四四号証実況見分調書添付の写真一〇ないし一七(事故後の同年九月一三日の写真)を対比してみると、異なるところは、僅かに松の木の根元の方にあったつた草が後者にはなくなったこと、および踏切道付近の雑草が後者に心持ちなくなったこと(事故処理で踏まれたためと思料される。)だけである。

以上のような本件事故当時における本件踏切道付近の状況であるから、警察官がなした昭和四八年九月一三日における見通し距離の測定は、事故当日の見通しと大差ないものというべきである。

また、本件事故自動車の運転席における運転者の目の高さは地上から二・三五メートルないし二・四〇メートルであるから、被告京成運輸主張の雑草が繁茂していたとしても、運転手からの見通しには消長を及ぼさない。

(5) 本件事故自動車は一一t積大型貨物自動車であって(足立一一か三三九〇号)、車長一一・五七メートル、車巾二・四九メートル、車高二・七一メートル存し、本件事故は右自動車の左側、前部から六・二〇メートルの部分と本件列車前部の中央部が衝突したものである。

而して、本件踏切に進入する被告京成運輸の自動車が発見された際における本件列車の時速は八〇キロメートルであるから、その秒速は二二・二二二メートルであり、また本件事故自動車と同種同型式の自動車が、建築限界(一・九〇メートル)から七・九〇メートルまでの間において各発進した際の本件踏切通過に要する時間を、仙台北警察署員と前記佐々木則夫とが実験した結果によると、本件事故自動車が基点から六・七〇メートル手前で一時停止し、そこから発進して自動車後部が反対側建築限界を越えるに要する距離は二〇・一七メートルであり、その所要時間は多くとも八・七秒である(一メートルの走行所要時間は計算上〇・四三一三秒)。八・七秒間における本件列車の走行距離は、時速八〇キロメートルで一九三・三三メートルであるから本件事故自動車が基点より六・七〇メートル前で一時停止した際、本件列車が本件踏切から一九三・三三メートル以上仙台寄りを走行しておれば本件事故は発生しなかったのである。ところが、本件事故自動車は、右一時停止した地点より一二・九〇メートル(六・七〇メートルプラス六・二〇メートル)走行した地点で本件列車と衝突したのであるから、本件事故自動車が一時停止した際本件列車は右一九三・三三メートルより山形寄りを走行していたということになる。本件事故自動車が右一二・九〇メートルを走行するのに要する所要時間を、右の二〇・一七メートル走行に要する所要時間八・七秒の割合で計算するとほぼ五・五六秒であり、同じ五・五六秒間における本件列車の走行距離は計算上一二三・四五メートルである。故に本件事故自動車が衝突直前基点から六・七〇メートル手前で一時停止した際の本件列車の走行位置は、本件踏切から仙台寄り一二三・四五メートルと一九三・三三メートルの間を走行していたということができる。

してみると、本件踏切道付近の状況及び見通し距離は前記のとおりであるから、佐々木運転手が、本件踏切道の直前で一旦停止し、左方(仙台方向)の安全確認に些少の注意を講じていたならば折から接近してくる本件下り電車を容易に発見することができ、本件事故が発生しなかったことは明白である。

(6) 本件踏切道は、昭和四八年一二月二四日踏切警報機及び踏切遮断機を設置し、いわゆる第一種踏切とされたが、これは同年一〇月踏切道改良促進法の指定を受けたことに基づいたこと及び原因はともあれ、現に本件事故の発生したことを本社に報告したこと並びに踏切道南方に住宅団地の開発が予定されたことなどから道路の拡張工事に伴い踏切道の拡巾工事に対応してとった現実的な処置であった。

(7) 以上、本件踏切道の諸事情に鑑みると、本件踏切道は、佐々木運転手が些少の注意を払いさえすれば本件事故の発生を十分防止することができ、危険な踏切としての要因もないから、本件踏切道に踏切警報機、踏切遮断機の設置まで必要とするものでなかったことは明らかである。

また、本件踏切道においては、本件事故発生以前は一件の事故もなかったものである。

(二) 被告国鉄の電車運転士前記工藤英夫に何らの過失はない。

工藤運転士は、本件列車を所定内の運転速度である時速八〇キロメートルで前方を注視しながら運転し、本件事故現場踏切にさしかかる前、愛子陸橋を過ぎてカーブにさしかかる前の地点及び第二・二軒在家踏切を少し過ぎた地点において、それぞれ踏切通行車(者)に対する注意の長緩気笛(以下警戒気笛ともいう。)を吹鳴して進行したところ、本件踏切道の直前約一三〇メートル手前の至近距離に至って進行右側から本件事故自動車が、本件踏切道を横断しようとするのを発見、直ちに非常気笛を吹鳴すると同時に非常制動の措置をとったが間に合わず本件電車を右自動車に衝突させたものである。右列車につき右速度で非常制動をかけて停止措置がとられた場合、列車が停止するまでの最少限度の距離は約二五〇メートルないし二六〇メートルであるから到底工藤運転士が如何なる措置をとったとしても、本件衝突は不可避であることは明白である。

(三) 本件踏切事故は、佐々木運転手が本件踏切通過の際、自動車運転者として要請される安全確認義務を怠ったため発生したものである。

およそ車両等が踏切を通過しようとするときは、踏切の直前(停止線のあるときは停止線の直前)で停止し、踏切を通過しようとする車両と列車との接触を確実に防止するための安全確認をした後でなければ進行してはならない義務がある(道路交通法第三三条)。

しかるに、同運転手は、本件踏切道の北側入口の軌道の中心線から六・七メートル手前の地点で停止したのみで(この地点では左方の線路が見えないと佐々木はいうのであるから停車自体無意味)その後、踏切直前で一旦停止をなさず本件踏切に進入した。もし同運転手が些少の注意をすれば下り電車接近を容易に発見し、事故の発生を回避できたのに、左方(仙台方向)の安全を確認しないまま漫然と電車の進行はないものと軽信し、本件踏切道に進入したところ、踏切手前三〇メートルないし四〇メートルの至近距離に本件電車が接近しているのを発見、アクセルをいっぱいに踏み込んで渡りきろうとしたが間に合わず右電車と衝突したものである。

また、車両制限令(昭和三六年七月一七日政令第二六五号)第六条第二項によれば、市街化区域外の道路のうち、通常の道路を通行する車両の巾は、当該道路の車道の巾員の二分の一を超えないものでなければならない旨規定されている。しかるに、本件事故当時、本件道路の巾員は三・一メートルであり、一方、本件事故自動車の巾は二・四九メートルであるから、本件事故自動車は少なくとも約五メートルの巾員の車道でなければ通行できないと制限されているにもかかわらず同運転手は、本件道路が大型車一台の道路巾であることを知っていながら漫然と本件道路に進入した法令違反もなしている。

(四) 以上主張した具体的状況に徴すると、本件事故の唯一の原因は、佐々木運転手の無謀ともいえる重大な過失ある行為によって惹起されたものであることは明白である。

なお、同運転手が右安全確認を怠った遠因は、被告京成運輸が労務管理において過労防止対策を講ぜず、長期連続勤務を強いたことによるものであり、このため同被告は昭和四八年一〇月三〇日仙台陸運局長から輸送施設の使用停止の行政処分及び改善勧告を受け、また昭和四八年一一月二一日仙台労働基準局長から労働基準法違反により書類送致されている。

(五) 以上の次第であるから被告国鉄には帰責事由はなく、本訴請求は失当である。

三  請求原因に対する被告京成運輸の認否と主張

1  請求原因1項の事実は不知。

2  同2項の事実中、事故の日時、場所、態様は認め、原告らが「仙山一号」の先頭車両に乗車していたこと、強烈な衝撃を受けたこと、原告らの傷害の程度及び損害は不知。

3  同3項の事実中、本件踏切に踏切遮断機、警報機等事故防止に必要な設備がなかったことは認め、佐々木運転手に一時停止などの安全確認措置を怠った過失があるとの点は否認し、被告京成運輸の責任は争う。

4  同4、5項は争う。

5  本件事故は、被告国鉄において、踏切遮断機及び警報機の設置等、事故防止に必要な設備を講ずべきところこれを怠ったこと及び前記工藤運転士において警笛吹鳴義務違反の過失があったことによって発生したものであり、前記佐々木則夫には過失は認められず、被告京成運輸が使用者責任を負ういわれはない。

(一) 佐々木則夫の運転状況について

佐々木は大型貨物自動車を運転し、本件踏切を通過しようとしたが、列車進行の有無確認のため、前記基点から約六・七メートル手前で一時停止した。まず右方を見、ついで左方を見たが、同方向の見通しは、樹木が陰になっていて全く不可能であった。そこで佐々木は、左方の見通しができる地点まで進出すべく、時速約五キロ位で発進し、基点から三・一メートルの所で再度停止し、左方の見通しを確認したがやはり樹木のため五〇メートル位先しか確認できなかった。しかし、この地点に至っても警笛吹鳴はなく又列車が進行してくるような気配を感じなかったため、左方に注意しつつ時速五キロメートル位の微速で更に進行を始め、自車の先端部が線路内に入ったとき左方約一〇〇メートルの所を進行してくる列車を発見した。佐々木は横断した方がよいと判断し、とっさに時速七キロメートル位に加速して踏切を横断しようとしたが、渡り切れず自車の中心部よりやや後部付近に列車が衝突したものである。

(二) 本件踏切の見通し状況

本件事故当時本件踏切の東方(仙台方向)の線路沿には雑草が繁茂し、高さ一、二メートルに及ぶものも多数生い茂り、踏切から東方一五メートルの所に松の木一本、二五メートルの所に栗の木二本があり、これらには幹を覆うように雑草がからみついていた。これらの雑草及び樹木のため本件踏切は著るしく見通しの悪い状況であったものであり、前記のように佐々木の進行する方向から左方の見通しは基点から三・一メートルの地点で五〇メートルに過ぎず、一〇〇メートル以上を見通すには更に基点に寄る必要があり、ほぼ線路上に至って始めて一〇〇メートル以上の見通しが可能であったものである。

ところで本件事故後の昭和四八年九月一三日司法警察員によって見通し状況等について実況見分が行なわれ、同年一二月二日検察官によって佐々木立会のうえ再度見通し状況の見分が行なわれ、右各見分の結果は前記佐々木の体験した見通し状況と著るしく相違しているが、これは、事故後実況見分までの間に、

(1) 国鉄側が松の木及び粟の木にからみついていた雑草を除去し、かつ踏切付近に繁茂していた雑草をも刈り取り、

(2) 救護活動ないし報道関係者によって線路沿の雑草が踏みつけられたり刈り取られたりし、

(3) 二回目の見分時には見通しの妨げとなっていた雑草類は枯死し消滅していた

ことにより見通し状況に変化があったためで右実況見分の結果は本件事故当時の見通し状況としては必ずしも正確なものではない。

(三) 佐々木の過失の有無について

前記の佐々木の行為及び本件踏切の見通し状況から、佐々木に対し自動車運転者としての過失を認めることは不可能である。

自動車が踏切を通過するときは、踏切の直前で停止し、かつ安全であることを確認した後でなければ進行してはならない(道路交通法第三三条一項)。そこで佐々木が右の注意義務をつくしたか否かであるが、佐々木は前記のとおり基点から三・一メートルの地点で停止している。しかしこの地点からの見通しは、左方五〇メートルにすぎなかったから、佐々木はさらに左方に注意しつつ進行を始めたものである。そしてさらに進行を始める契機となったものは、基点から三・一メートルの地点で警笛吹鳴がなかったことである。自動車運転者としては、遮断機も警報機もない踏切で、その上見通しも悪いところであってみれば、列車の進行を予知する唯一のものは、列車の発する警笛にほかならない。

本件では、佐々木の唯一の確認手段たる警笛吹鳴がなかった。法の要求する「踏切直前での停止」及び「安全確認」において佐々木にはその違反はなかったと言うべきである。佐々木は基点より六・七メートル及び三・一メートル手前で各停止し、かつ警笛などによる列車の進行を予知させるものがないことを確認した上通過しようとしたものである。佐々木に対しこれ以上の所作を求めることは、自動車運転者に過酷を強いるものであり、自動車の円滑な踏切通過を阻止するものに他ならない。

(四) 本件踏切の状況

前記のとおり被告国鉄は、本件踏切に遮断機及び警報機等、列車の進行を知らしむべき何らの設備もしておらず、又左方の見通しが極度に悪いまま放置していたものである。列車のように軌道上を運行する高速交通機関は、衝突の危険を回避する機動性に乏しく、かつ事故発生に伴う被害の甚大性は言うまでもなく、それ故にこそ、事故発生の防止には細心の注意をはらい、そのための保安設備を講ずべきである。

しかるに国鉄は、遮断機及び警報機等を設置しないばかりか、左方の見通しが極度に悪い状態を全く放置していたものである。特に後者については樹木を伐採するだけで見通しを確保することができたのであり、これをも怠っていたことは、国鉄に人命尊重の配慮があまりに欠落していたと言わざるを得ない。

(五) 列車運転士工藤英夫の過失について

工藤は、列車の運転者として列車が進行する道程の状況、とくに踏切付近の形状については、事前に熟知しているべきであり、本件踏切については、保安設備がなく加えて左方の見通しが極度に悪いのであるから、踏切を通過しようとする車両等に警報すべく、断続的に警笛を鳴らしつつ進行すべき注意義務があった。しかるに、警笛を鳴らさず、漫然時速八〇キロで進行を続けたことは、重大な過失と言うべきである。

6  原告らの損害について

(一) 原告らの治療期間及び治療打切り原因は別紙(三)「診療関係一覧表」記載のとおりである。

(一) 被告が執った医療態勢

本件事故の負傷者は事故後直ちに仙台鉄道病院他六ヵ所に収容されて手当を受けている。

原告らも右各病院で治療を受けたのであり、当日治療を受けなかった者についても今後治療を必要とする場合が生じたならば直ちに希望するところで治療を受けるよう、治療費は全額被告国鉄において負担することを告げている。更に事故直後収容された負傷者に対しても他の医療機関へ転医を希望する場合には、随意に転医先を決めるよう、この場合も治療費全額を被告国鉄が直接医療機関に支払うことを告げている。

右の点を徹底させるため、被告国鉄は、宮城県医師会および仙台市医師会あて「踏切事故による旅客負傷者の治療について」とする書面を送付して本件事故による負傷者の治療に万全の処置がとられるべく配慮した。これにより原告らも右被告側の処置に従い、多い人で四ヶ所の治療機関で適宜治療を受けたものであり、その都度病院側は被告国鉄に治療費を請求し、これは全額支払われている。

(三) 自家薬品の使用

原告の中には、自家薬品を大量に使用したとして、これを直接薬品代の損害費目で請求し、あるいは慰藉料額算定の一要素として請求している者がある。しかし自家薬品を使用したとする主張自体その種類、品目、使用期間等充分な立証がないが、仮りに実際に使用したとしても、これを損害として本訴で請求するのは、一種の過剰診療とも言うべきであって、賠償範囲を逸脱していると考える。

前記のとおり被告は負傷者の治療に関しては、充分な治療が被告側の負担においてなされるべく配慮していたのであるから、原告らは自家薬品を使用せずとも自己が治療を受けていた医療機関から必要な薬の支給を容易に受けられたのである。損害賠償の範囲は、言うまでもなく相当因果関係の範囲内であるべきであるから、原告らが病院から必要な薬を容易に受けられる立場にありながらこれをせず、自家薬品を使用したからと言ってこれを損害として請求するのは不当である。さらに原告らが使用したとする薬品は、栄養剤、鎮痛剤、湿布薬等であって、これらは、どこの病院にでもあるものであり特種薬故に他から調達せざるを得なかった事情も全く存しないのである。

(四) 後遺症

原告の大多数は、本件事故に基因する後遺症が現在なお残存すると主張して、これが多大な慰藉料額請求の根拠をなしている。原告のほぼ全員が同じように後遺症を主張すること自体異常でその信憑性に疑いがあるが、いずれにせよ、後遺症の有無については、各原告ごとに慎重に判定しなければならない。前記のとおり、被告側は、負傷者に対し、希望する治療機関で充分な治療を受け得る態勢をとり、これによって負傷者は充分な治療を受けたのであって、それでも不幸にして後遺症が残存したとすれば、当然治療機関による後遺症認定の診断があってしかるべきである。原告ごとの具体的判定については後記するが、大部分の原告の後遺症主張についての証明は本人の証言だけであって、何ら客観的立証がなされていないことをとってもその信憑性につき疑いを抱かざるを得ないのである。

(五) 示談の成立

被告京成運輸は負傷者に対し、後記のとおり見舞品、見舞金を支払い、また被告国鉄も負傷者に対し、乙第二一号証記載のとおり見舞金を支払っている。これとは別に被告京成運輸では、負傷者との間で誠意をもって示談折衝し、現在では原告以外の負傷者との間では、全員示談が完了しており、この中には、原告らと同じ団体(ゼリア薬品の慰安旅行会)の二〇名も含んでいるのである。

賠償示談金は、各人の具体的損害の態様によって異なるのは当然であるが、病院に二、三回通院した程度の人達との間では五千円の示談金で円満解決しており、原告の損害額を算定するについても同じ事故に基因するものである以上、おのずと既示談者とのバランスがたもたれるべきであると思料する。

(六) 休業損害

原告の大部分は薬店の売上減少を主張している。そして多くは前年売上比ないしは事故前数ヶ月との売上比を証言している。

しかし、基本ともなる前年当月の売上ないし事故前数ヶ月の売上を証明する帳簿類は一切提出せず、また被告側が再々要請した所得証明も提出していない。さらに利益率についても原告によってまちまちの証言をしているのであって、これでは原告の証言だけで休業損害額を認定することはできず、多くは四八年当時の賃金センサスによらざるを得ないものと思料する。

(七) 原告小田島専司

(1) 治療経過

原告は事故直後、仙台市立病院で治療を受けたあと、同日大沼病院に転医して入院、翌日本人の希望で退院している。さらに九月一〇日から通院の便宜がよいこともあって、二九日まで岩手県立北上病院にて通院治療を受けている(実通九日間)。その結果同院によって九月二九日を最後に通院してこないため治癒・中止とされ、後遺症無しと診断されている。

(2) 傷害の程度および診断内容

原告の北上病院での治療内容は、「頭の傷を消毒して包帯し……肩に湿布する」程度であったので、本人の証言からは、通院するまでのことはないと考え、二九日以後通院しなくなったことが窺える。原告は、治療師白藤リヨにマッサージを受けたとしこの治療費を本訴で請求している。しかし、原告の傷害の程度は、前記北上病院での治療内容から推測されるごとく、軽度の挫創、打撲と考えられるのであり、治療上右病院以外でのマッサージ治療ないし温泉治療を要するとは到底考えられないのでこれらの治療費は相当因果関係にないものと思料される。

後遺症については、これを認定すべき客観的証明は全くなく、むしろ丙第七号証の五によれば、後遺症無しとされていることから否定されるべきである。慰藉料一三五万円の請求は、右後遺症の残存を前提としているのであろうが、これが否定される以上、慰藉料算定の要素としては、傷害の部位、程度および治療内容から判断されるべきであり、前記既示談者とのバランスを考えるとき、金五万円が相当である。

(3) 休業損害について

原告は、田島屋薬局の代表取締役の地位にあり、会社から報酬の支給を受けていたが、事故後右報酬の削減はないから、この点での原告自身の損失はない。

原告は会社の売上減を請求しているようであるが、そうであれば、会社が請求すべきであり、原告本人の休業損害としての本訴請求は棄却されるべきである。なお会社の売上減少そのものについても疑わしく、原告代理人の「あなたの四八年の所得は」との質問に対し、「私はもっぱら今申し上げました組合のことを主としてやっておりますので……」と答えているのであって、原告の前記入通院によって、売上減少があったこと自体はなはだ疑問と言わなければならないのである。

(八) 原告小田島イネ

(1) 治療経過

原告は事故後、仙台市立病院で治療を受けた後、同日大沼病院に転医して入院、翌日退院している。

さらに、通院の便宜がよいこともあって、九月一〇日から二一日まで北上病院にて通院治療を受けている(実通六日間)。その結果、同院によって九月二一日を最後に通院してこないため治癒・中止とされ、後遺症無しと診断されている。

(2) 傷害の程度および診療内容

原告は北上病院に実通六日間通院していたが、病院では挫創部位に薬を塗って包帯をかえ、胸に湿布するというものであった。

本人の証言によれば「お医者さんに行っても大したことないから、うちの薬があるものだから、うちで手当をしておりました」「……いちいち通うのも面倒くさいし……」ということで九月二一日を最後に通院しなくなったのであるが、これは原告の受けた傷害が軽度であったことを如実に窺わせるものであり、白藤リヨのマッサージや温泉治療が治療上、必要欠くべからざるものであったとは到底考えられない。

後遺症については、これを証明すべき資料は全くなく、むしろ丙第八号証の五によれば、後遺症無しと診断されているとおり否定されるべきである。

慰藉料としては、傷害の部位、程度、治療期間等を考慮すると金五万円が相当と思料する。

(3) 休業損害について

原告は田島屋薬局の常務取締役として、報酬の支払を受けていたから原告の損失は認められない。売上減少は会社の損失を言うのであろうから、これを原告の損失として本訴で請求するのは棄却されるべきである。原告は、薬局で客の健康相談をしていたというが、同人は薬剤師の資格はなく、また健康相談と薬の売上との関係が明らかでない以上、売上減少があったとすること自体信憑性に欠けると言わなければならない。

(九) 原告森洋子

(1) 治療経過

原告は左肩挫傷、腹壁、左臀部打撲の傷害を負い、事故日から翌年五月一五日まで仙台鉄道病院で治療を受け、その間九月一四日から一二月四日まで八二日間入院し、退院したあと五ヶ月余の間に一七日間実通院治療している。

さらに原告は、仙台鉄道病院の通院治療をやめてから四ヶ月位後の四九年九月一二日腰痛等を訴えて大河原病院で治療を受け以来五〇年一二月一九日まで同院で通院治療を受けている(実通二一〇日間)。右治療の結果、同院の担当医であった証人相馬又義は、原告の症状は治癒し、後遺症はないと診断している。

(2) 傷害の程度および診療内容

原告は子供二人が仙台鉄道病院に入院したので付添っていたが同人も頭部、肩、上腕の疼痛、および腹壁、右臀部の圧痛を訴えたので、子たちの付添を兼ねて入院することになった。治療内容は、レントゲン検査、脳波検査では器質的変化は認められなかったので、マッサージ、牽引、湿熱のための電気療法、局所注射、湿布を施行している。一二月四日退院したが、これは症状も軽快し、子供の森裕子が同日退院したので、同人に付添う必要がなくなったこともあり同時に退院したわけであり、退院時の状症は、「腕の痛みが残っている程度」で引き続き外来診療するというものであった。

腰の痛みについては、入院中の一〇月一二日に一度訴えたことがあるけれども(これは軽快している・乙第三号証の七)それ以外入院中、格別腰痛を訴えることもなく、退院時は、前記のとおり腕の痛みが残っている程度で腰痛があったとの所見はみあたらない。退院後は一二月は一四日、二〇日、三一日の三回、翌年一月は一四日、二四日、三〇日の三回、二月中は一回、三月中は一回、四月は通院せず、五月は一五日一回、各通院している。

そして最後に通院した五月一五日になって初めて、腰痛と眼痛を訴えているが、この症状についてはその後原告はいずれの病院でも治療を受けてはいなかった。ところが、四ヶ月位経過した九月一二日に至り、腰痛等を訴えて大河原病院で治療を受けることになり、同病院でこれら症状は左肩関節炎、椎間板ヘルニヤと診断され、関節注射、牽引等の治療を受けたが通院二、三ヶ月で左肩関節炎は軽快し、五〇年一二月一九日(最終診断日)の時点ではヘルニヤも治癒するに至った。

(3) 後遺症の主張について

(イ) 原告は、現在の症状につき「腰が痛い、たまに頭痛がする。両手が上げられない。肩も痛い。」と証言し、証人森勇夫は原告の眼の症状につき「まぶたがけいれんする。目の奥が引っ張られる。目が疲れ、充血する。」と証言している。

前記のとおり、原告は四八年一二月四日仙台鉄道病院を退院したときの症状としては、「腕の痛みが残っている程度」であったのであり、その後の外来通院も四九年五月一五日まで九回通院したにすぎず、その後大河原病院に来院したのは同年九月一二日であった。右のとおり退院時の症状およびその後の診療経過からは、原告の症状は、充分軽快していたことが窺えるのである。

証人相馬又義は法廷において「広い意味では肩関節炎、椎間板ヘルニヤは、広義の外傷に入る疾患という意味で事故による打撲がこれらに原因していないとは言えない」「しかし事故による打撲は一年前のものであり、その間の経過が不明である以上事故との因果関係については答えられない」と証言し、さらに打撲とヘルニヤの発生期間との関係につき「打撲後普通大体一か月か二か月位で症状が明らかになってくる」と証言している。

右証言からは、原告が大河原病院で治療を受けた症状が果して本件事故と相当因果関係があるかは、はなはだ疑わしく、むしろ仙台鉄道病院で治療しているときは、腰痛の訴えがほとんどなかったのであるから事故後一年以上経過した時点でのヘルニヤの発生はむしろ事故との関係を否定すべきものと思料されるのである。そうであれば本来大河原病院の治療費は被告において負担する必要がなかったのであり、同院での診療期間についての慰藉料は賠償の対象とはならないことを強調するものである。前記のとおり、相馬医師によれば、原告の症状は完治と診断されているのであり、原告本人の後遺症に関する前記証言は措信しえない。

(ロ) 原告は、四九年五月一五日、眼の異常を訴えたので、水野秀雄医師が診察している。これによると原告は、生来性の右眼遠視性単乱視、左眼近視性単乱視を有し、診察時同人には調節衰弱による眼精疲労がみられたと診断されている。原告のような片方が遠視で片方が近視の場合、一つのものを注視しようとするとき、両方のバランスをとるため、調節力が要求され、その調節力が弱まってくると調節衰弱による眼精疲労となり、頭痛、めまい、吐き気、視力の衰弱等頸捻挫類似の症状を呈するようになる。そして調節力が弱まる原因としては、薬物中毒、年をとる、体の疲労が考えられ、多くは年令からくる場合が多いとのことである。水野医師は原告の調節力衰弱の原因は年令からきたものと明言し、事故との関係を否定している。原告の供述する頭痛等の症状、あるいは森勇夫の供述する眼の症状も、もしあるとするならば、それは原告の生来性の遠視、近視が原因しているものと考えられるのであって、被告の責任と結びつくものではない。

(4) 自家薬品等の使用について

原告は事故直後から自家薬品を使用し、金額として二〇〇万円位になる旨証言し、さらに、子供二人と温泉治療に行き、費用として三〇万円位かかったと証言している。しかし、右自家薬品の使用、温泉治療が、担当医の指示によるものとは認めがたく、むしろ、自家薬品については、医者の薬だと胃が痛いのでその代りとして服用したと証言している。原告は前記のとおり二ヶ所の病院で充分な入通院治療を受けていたのであり、医者が支給する薬が不充分であるかあるいは体に合わないのであればその旨申し出て、適切な薬をもらえる立場にあったのであるから(医者から薬の支給を拒否された事情はない)、これをせずして、自家薬ないし温泉治療したとして、これの費用を請求するのは、一種の過剰診療であり、賠償の相当範囲を逸脱していると言うべきである。

(5) 休業損害について

原告は四八年九月八日から四九年一月七日まで九〇日間休業し、その間の損害が一〇一万円と主張している。しかし原告の夫は薬剤師として森薬局を経営し、当時店員が一名いたから、原告は、専ら家庭の主婦として二人の子供の世話と家事労働に従事していたと認められるのである。よって、九〇日間休業したとすれば、それは家事労働に従事しえなかったと認められるのでその間の損失は昭和四八年賃金センサス女子労働者の平均賃金相当額と評価すべきである。

右センサスによれば、月額金五七、四〇〇円、賞与年一五六、五〇〇円であるから、これを月収に換算すると、金七〇、四四一円となり、その九〇日分は(七〇、四四一円×三ヶ月)=二一一、三二三円となる。なお二ヶ月間アルバイトを使用したというが、これについての充分な立証はなく、仮りにそうだとしても、アルバイト代と原告の休業損害と二重に請求することとなり不当である。

(一〇) 原告森京子

治療経過と原告の損害

原告は事故直後、仙台市立病院で治療を受け、同日仙台鉄道病院に転医して入院し、九月一三日退院、その後同院に二回通院治療を受けたが、四八年九月一八日から同年一二月二六日まで八島外科医院に転医して通院治療を受けている(実通六八日)。原告の病名は、左肩打撲傷、頭部打撲傷であったが、最終の治療先でもある八島外科医院では、四八年一二月二六日付をもって治癒、後遺症無しと診断されている。右原告の治療中の慰藉料としては、金三〇万円が相当と思料する。

なお、温泉治療費については、その必要性が疑問であり否定されるべきである。

(一一) 原告森裕子

(1) 治療経過

原告は左顔面頬部二ヶ所の割創と顎部割創の傷害により事故直後仙台市立病院で治療を受け、同日仙台鉄道病院に転医して入院し、一二月四日同院を退院した。退院後四回同院に通院治療を受け、割創は完治しているものの現在頬部に瘢痕を形成している。

(2) 原告の損害

原告の割創は右頬部に約二センチと三センチの二ヶ所、顎部に約一センチというものであり、一三針の縫合手術を受けたことが認められる。

現在、瘢痕が認められ、森洋子、森勇夫の各証言によれば、「右頬に幅二~三ミリから一センチ位で長さ六~七センチ位の瘢痕があり、顎の部分はほとんど目立たないが、頬部の瘢痕は外見上分る。」という。本訴では原告の瘢痕の程度について右証言以外客観的な資料がなく、さらには整形手術による瘢痕消失の道があることを考え合わせると、原告の右瘢痕に対する後遺症慰藉料は、控え目に認定されるべきと思料される。後遺障害別等級表によると、瘢痕が長さ六~七センチとすれば、第七級一二号の「女子の外貌に著しい醜状を残すもの」に該当することになるが事故当時右等級の後遺症補償費は金二〇九万円となっており、多くの交通判例では、慰藉料はその八割に相当する一六八万円と認定されているので、原告においても右金額が一応の基準となるものと考えられる。

(一二) 原告佐藤たま子

治療経過と原告の損害

原告は胸部挫傷、右膝右大腿足関節部挫傷の傷害を負い、事故日から一〇月一日まで渋谷病院にて通院治療を受けた。右治療費二三、六四〇円は全額被告において支払っている。

通院回数は、右治療期間中、七回であり、二〇回通院したとの証言は記憶違いと考えられるので通院交通費は七回を基準にすべきである。後遺症として「胸部の疼痛が残っている。雨の日などめまい、しびれがとれない。」と主張しているが、原告の証言では右症状をいずれも否定しており、そもそも傷害自体が軽傷と認められるので後遺症を前提とした慰藉料は否定されるべきであり、通院期間中の慰藉料としては金五万円が相当である。

(一三) 原告石川孝子

(1) 治療経過

原告は事故当日治療を受けなかったが翌九日仙台鉄道病院で頭痛、腰痛を訴えて受診し、同月一四日精密検査の依頼のため来院して脳波検査を受けている。しかし右検査では格別の異常はなく、その後同院には通院していない。原告は、本件事故により打撲、挫傷等の傷害を負ったことは認められず、カルテ(乙第三八号証の一)でも単に頭痛、腰痛と診断されているにすぎない。原告は四八年九月一〇日から同年一〇月三〇日まで大山泰医師の診療を受けているようであるが、右治療は本件事故とは全く関係ないものと思料される。右医師には頭痛を訴えて診療を受けたものであろうが、原告の証言および前記のカルテによれば、原告はいわゆる頭痛もちであって事故以前から右医師から頭痛の治療を受けていたことが認められるのであって、事故のショックで頭痛が発生ないしは増幅されたことがあったにしても、これは一過性のものと思料されるのである。

このことは、国鉄の右医師に対する治療依頼(乙第三〇号証)に対する同医師の回答(乙第二三号証の七記事欄)からも充分窺えるところである。

(2) 原告の損害

前記のとおり大山医師での治療は本件事故とは因果関係がないのであるから、この治療費を被告が負担するいわれはなく、本件事故に基づく後遺症に至っては、全く考えられない。

原告は株式会社石川薬局の代表者であって、夫の他三名の従業員が働らいており、事故後も給料全額支給されていたから原告の休業損害はないことになる。原告の症状は一過性の頭痛にすぎなかったのであり、夫の他三名の従業員が働らいていたことを考えると会社自体に売上減少があったとは到底認められない。既示談者とのバランスを考えるとき、原告の慰藉料は金一万円が相当である。

(一四) 原告石原(旧姓高橋)悦子

治療経過と原告の損害

原告は左下腿裂創の傷害のため事故日に岩崎医師にて縫合手術を受け、その後仙台鉄道病院で一回治療したほか九月一〇日から同月二二日まで横山医院で通院治療している(実通八日)。

治療経過は艮好で九月二二日治癒している。

原告は「……先生はきれいに縫ったから傷跡は残りませんと言われたけれど現在では七センチ、巾一センチぐらいの跡が残っている」と証言しているが、甲第八号証の一診断書中には、瘢痕を残すとの記載がない。右診断書は四九年一月八日原告の申請により発行されたものであろうが、もし瘢痕があれば当然記載したであろうし、四八年一〇月一三日発行の診断書にも治癒したとの記載だけで、瘢痕については全くふれていないのである。右事実からは、原告が証言するほどの傷跡が残っているとは認められず、仮りにあるとしてもおそらくかすかに認められる程度にすぎないと思料される。なお後遺障害等級表によると「下肢の露出面に手のひらの大きさの醜いあとを残すもの」は一四級の四号となり、その場合の慰藉料は事故当時の交通判例では金一五万円とされていたが、原告にあっては、その瘢痕の有無、形状が明確ではなく、仮りにあったとしても「手のひらの大きさ」に比べてもはるかに小さいのであるから、慰藉料額は、右金員を大巾に下廻ることは言うまでもない。

(一五) 原告桜井富美子

(1) 治療経過

原告は事故日腰部を打撲し腰が痛いと訴えて仙台鉄道病院で治療を受け、次に同月一〇日には左の上腕、左の背中から腰にかけて痛いと訴え、二一日には、胸が痛いと訴えて各治療を受けた。右三回のほか同院には通院していなかったが、その後同年一一月二〇日から翌年七月一二日まで頸部捻挫、左胸部打撲症の病名で大沼医院にて治療を受けている。同院からは四九年七月一五日をもって治癒、後遺症無しと診断されている。

(2) 原告の損害

原告は前記のとおり大沼医院で頸部捻挫、左胸部打撲症の病名で治療を受けているが、右病名が本件事故と因果関係があるかは、はなはだ疑わしい。証人石垣真の証言によれば「通常は外傷を受けて当日、ないしは二、三日おいて発症あるいは症状を訴えるのが常である」というのであり、同証人は、原告が仙台鉄道病院に通院してきた際、頸部捻挫と診断すべき症状は訴えていないと明言している。原告は九月二一日を最後に仙台鉄道病院には通院していないが、右証人の証言によればもし本件事故のため頸部捻挫をしたとすれば、事故後一三日経過した二一日の時点で当然発症あるいはその旨の訴えがあったはずである。原告が大沼医院に通院したのは更にあとで事故から七〇日以上経過した一一月二〇日であり、外傷後七〇日以上経過して発症するとは到底考えられないから、原告の頸部捻挫は、事故後何らかの原因で生じたと考えられるのである。よって、原告の慰藉料ないし休業補償を算出するについては、右大沼医院での通院期間は、賠償範囲から除外すべきものと思料する。

原告は、現在なお、首や腰が痛いと証言しているが、前記のとおり頸部捻挫については、本件事故によるものとは考えられず、腰痛については、原告には、脊椎分離症の既往病があり、証人石垣によれば「外力とは関係なく、分離症の人には腰が痛くなったり足がしびれたりする症状を呈することが考えられる」のであるから、現在の腰痛を本件事故と結びつけることは困難である。

原告の本件事故による負傷は、全くの軽傷であったのであり、仙台鉄道病院での治療内容も検査が主であり、湿布と飲み薬だけであったことを考え合わせると、休業せざるを得ない状態であったとは言えないから休業損害の発生は認めがたい。慰藉料としては金五万円が相当である。

(一六) 原告佐藤まつ子

治療経過と原告の損害

原告は事故の際、「ガラスの破片で二、三か所手を切った、足は少し捻挫した、網棚に歯をぶつけた」、「九月一〇日から同月二三日まで高橋医院に通院して治療を受け、さらに星歯科で入歯を入れ直した」と証言している。

しかし星歯科での治療については、原告の証言からも何時から何時までどのような治療をしたのか判然としないばかりか、基本ともなる診断書すら、書証として提出されていない。これでは治療の実態すら把握するのは困難であるから、事故との関係を問題にすることは到底不可能である。

甲第一〇号証の二によれば一四回手足の治療を受けたことが認められるが、原告の証言によれば事故直後、病院で治療を受けるほどのけがとも考えなかったので、事故当日、さらには翌日にも治療を受けなかったことが窺えるのであって、ごく軽傷であったと考えられる。慰藉料としては金五万円が相当と思料する。

(一七) 原告片倉重子

(1) 治療経過

原告は肩部打撲等の傷害で事故日に外科渋谷病院で治療を受け、次いで九月一〇日から翌四九年一月三一日まで黒澤外科医院で通院治療を受けている(実通四四日)。その結果右医院では四九年一月三一日付をもって原告は治癒し、後遺症もないと診断している。

(2) 原告の後遺症と損害

原告は、現在の症状として「一〇分以上正座できない。肩が凝る。重いものは持てない。」と証言している。

しかし、一四四日間にわたって治療した病院が、後遺症なしと診断しているのであって、もし原告が証言している症状があったとすれば四九年一月三一日付の診断書に当然記載されているべきである。甲第一一号証の四によれば、「左肩から手に及ぶ運動痛、鈍痛、脱力感を残遺している」と記載されているが、右診断書は五一年六月一四日、原告が一年半ぶりに同院を訪ね、このような症状があるので記載してほしいと頼み、その結果作成されたものにすぎないのであるから、右診断書をもって、診断書に記載されている症状が本件事故と因果関係があるとする根拠とはなりえないのである。さらに右診断書に書かれている症状と原告が法廷で証言した症状とは前記のとおり食い違っている。

法廷では専ら、肩、腰、足について証言するが、診断書では肩から手にかけての運動痛が記載されており、この点から見ても症状そのものについて信憑性が疑わしい。

原告の証言からは、原告の薬局規模からみると仮りにある期間原告が休業しても直ちに売上が減少するとも考えられない。原告がある期間主婦として働けなかったとすれば、その期間は、前記の女子労働者の平均賃金相当の損失と考えるべきである。慰藉料は金一〇万円が相当と思料する。

(一八) 原告阿部ミエ子

治療経過と原告の損害

原告は頸部捻挫、左肩打撲の傷害を負い、事故日から九月三〇日まで仙台鉄道病院で通院治療を受け(実通四日)、その間九月一〇日から同月一三日まで四回大森医院で治療している。大森医院は原告宅からは近いのであるが、同院にも九月一三日以来通院していないのであって、負傷は軽度であったと考えられる。原告の証言からも後遺症状はないようであり、診療期間の慰藉料としては金二万円が相当と思料する。

(一九) 原告佐藤(旧姓猪股)真知子

(1) 治療経過と原告の損害

原告は右顔面、右肩の打撲を負い、事故日に伊藤外科病院で治療を受け、次いで九月一〇日から九月二六日まで公立登米病院で通院治療を受けている(実通六日)。また九月一八日から同月二一日まで古川市立病院でも治療を受け(実通二日)、同院では治癒後遺症無しと診断されている。

丙第一二号証の三によれば、「九月二六日転院す」と記載されているが、原告の「登米病院より大きな病院である古川市立病院でよく診てもらいたかった」との証言部分と対比すると、原告は九月一七日まで登米病院で治療を受け、そのあと九月一八日から古川市立病院で治療を受けたことが認められる。「九月二六日転院す」との記載は、この診断書が九月二六日に作成されており、その際、原告が他で治療を受けていることを聞いたためにこのように記載されたものと考えられるのである。そして古川市立病院では、後遺症なしと診断されているのであり、原告の今でも本件事故に基因する症状があるかのような証言は措信できない。原告は五〇年秋ごろ耳鳴りがするので一〇日間位古川市立病院で治療を受けたと証言するが、すでに事故から二年以上経過してからの発症であり、本件事故との因果関係を認めるのは無理であろう。なお、原告は、前歯が二本抜けたので管野歯科で治療したが、これは事故の際吊り棚の鉄柱に前歯がぶつかったからであり、くちびるがはれたと証言している。しかし、管野歯科で何時から何時まで通院したかは証言からも明確ではなく、同院での診断書すら提出されていない。また当時本件事故の負傷に係る治療費は国鉄が直接負担することになっており、このことは原告も承知していたのであるから、もし歯の治療が証言するようなものであったならば、当然国鉄が負担していたはずであって、あえて原告本人が支払っているのは、事故とは関係がなかったからと思われるのである。

原告の通院慰藉料としては金五万円が相当と思料する。

(二〇) 原告浅野須美子

治療経過と原告の損害

原告は頸椎捻挫等の傷害を負い、事故日に東北労災病院で手当を受け、次いで九月一〇日から一一月二三日まで片倉病院で通院治療を受けている(実通四六日)。同院では治癒、後遺症無しと診断されている。

足の切り傷の跡は「一・五センチ位で今は大分色も薄くなっている」のであって、「夏など水着を着れない状態」との主張は、いかにもオーバーであろう。原告の慰藉料としては金一五万円が相当と思料する。

(二一) 原告佐々木つやの

治療経過と原告の損害

原告は胸部打撲等の傷害を負い、事故日渋谷病院と伊藤外科病院で手当を受け、次いで九月一〇日から一一月二三日まで片倉病院で通院治療を受けている(実通四二日)。同院では治癒、後遺症無しと診断されている。

原告の慰藉料としては金一五万円が相当と思料する。

(二二) 原告氏家和子

治療経過と原告の損害

原告は上腹部打撲等の傷害を負い、事故日に東北労災病院で手当を受け、次いで九月一〇日から一〇月三〇日まで片倉病院で通院治療を受けている(実通二三日)。同院では治癒、後遺症無しと診断されている。

慰藉料としては金七万円が相当と思料する。

(二三) 原告千葉秀子

治療経過と原告の損害

原告は左前腕打撲等の傷害を負い、事故日から九月一四日まで仙台鉄道病院で通院治療を受けた(実通四日)。同院では後遺症なしと診断している。原告の傷害は骨折することもない単なる打撲であって、ごく軽症であった。

慰藉料として金二万円が相当と思料する。

(二四) 原告千葉八重子

治療経過と原告の損害

原告は顔面、右肩を打撲し、事故日から九月一七日まで仙台鉄道病院で通院治療を受けた(実通三日)。原告の負傷程度は骨折はなく、ごく軽症の打撲であり、九月一七日の時点で後遺症なしと診断されている。

慰藉料として金二万円が相当と思料する。

(二五) 原告引地隆子

治療経過と原告の損害

原告は両手打撲の傷害を負い事故日から九月一七日まで仙台鉄道病院で通院治療を受けた(実通四日)。打撲の程度は軽度の腫脹というものであり、九月一七日に全治している。

慰藉料として金二万円が相当と思料する。

(二六) 原告枡沢智子

治療経過と原告の損害

原告は、頸部等を打撲し、事故日に仙台市立病院で手当を受け同日伊藤外科病院に転医して九月一二日まで同院に入院、次いで仙台鉄道病院に同日から九月二九日まで入院して治療を受けている。同院を退院して一ヶ月後道又外科医院に一〇月二九日から翌四九年二月二八日まで頸部捻挫の病名で通院治療を受けた(実通四六日)。

原告は、夫とその両親および子供二人と同居していたのであって、専ら主婦業に従事していたと考えられ、休業補償を算出するについては、女子労働者の平均賃金を基準にするのがより妥当であると思料する(当時の月額七〇、四四一円)。

原告の慰藉料としては金三〇万円が相当と思料する。

(二七) 原告及川幹子

(1) 治療経過

原告は右肩前腕打撲等の傷害を負い、事故日に渋谷病院、翌九日仙台鉄道病院で各手当を受け、九月一〇日から翌年二月二五日まで山崎外科で通院治療を受けている(実通六三日)。さらに五〇年一〇月一六日、右側頸腕部の痛み、不快感を訴えて、小泉医院で治療を受けるようになり五二年九月まで通院している。

(2) 原告の後遺症

原告は現在の症状につき、「やはり時々頭痛がしたり、あとはただ座ってますと頭が痛くなるんですよ。同じまっすぐの姿勢をとるのがすごく大変なんです。」「右肩とか」「右ですね、重いんです。」と証言する。しかし頭痛については丙第四六号証のカルテおよび証人小泉日出雄によれば、治療中にも訴えていたことがなかったようであるから、現在の症状として「やはり時々頭痛がする」との証言は、仮りにあったとしても本件事故との関係を肯定することはできない。右小泉証人によれば、原告の症状は頸腕部が「だるい感じ」の神経性の痛みがあったが、現在は幾分軽快し、天候、湿度の関係で不快感、違和感を訴えるというものである。また小泉医院での初診時の症状も他覚的所見はなく、格別な運動制限もなく、通常の生活にはそれ程の影響はない程度であったからその後右症状は軽快していることを考えれば、原告の後遺症状としては、軽い程度の神経症状と認められるのである。原告は後遺症として等級表九級を主張するが、九級一〇号は「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当程度に制限されるもの」であって、原告の症状がこれに該当しないのは明らかである。なお、局部に神経症状を残すものとして、一四級一〇号その程度が頑固な場合は一二級一二号である。後者の場合には、医学的(他覚的)に証明しうる神経障害がこれにあたるとされているから、原告の症状は、専ら愁訴(自覚症状)だけであることから、これは否定される。もし後遺症に該当するとしても一四級一〇号の「局部に神経症状を残すもの」であろう。事故当時の一四級後遺障害慰藉料は、多くの交通判例では金三八万円の八割に相当する金三〇万円とされていたから、右金員を基準とすべきである。

(二八) 原告林崎初枝

治療経過と原告の損害

原告は前頭部裂傷等の傷害を負い、伊藤外科で四日間、北上病院で一一日間入院治療を受けたほか一〇月一日から一一月三〇日まで柔道整復師にかかって治療を受けた(実治療日数三六日間)。

原告は「現在背中が重苦しい程度、あとは湿布した跡がお風呂へ入ったりするとかゆくなる」と証言しているが、北上病院では四八年九月二六日の時点で治癒、後遺症無しと診断しているのである。しかし原告はさらに柔道整復師にもかかって治療を受け、ここでも「経過良好で全治す」と診断されているのであって、原告の右証言は信用できない。なお原告は温泉治療したと主張するが、前記のとおり、原告は北上病院で治癒との診断を受けたあとでもさらに一ヶ月以上柔道整復師にかかって治療の万全を期したことが認められるのであり、この上さらに温泉治療をする必要性があったとも考らえれないから、右湯治費用は、本件事故による損害としては、相当性がないものと思料する。

また三ヶ月位休業したと主張するが、前記のとおり原告の傷害は、四九年九月二六日には治癒しているのであり、休業したとしても九月二六日までであったと推察される。

原告の慰藉料としては、金二〇万円が相当と思料する。

(二九) 原告柳沢妙

治療経過と原告の損害

原告は両下腿挫創等の傷害を負い、事故日から三日間渋谷病院で入院治療し、次いで九月一二日から一〇月三日まで沼宮内病院にて通院治療を受けた(実通四日)。右病院での診断では症状は軽快し治癒見込とされており(丙第二七号証の三)、傷害の程度も軽症であったことが窺える。

原告の慰藉料としては金二万円が相当と思料する。

(三〇) 原告畠山節子

(1) 治療経過

原告は頭部打撲等の傷害を負い事故日に渋谷外科と仙台鉄道病院で手当を受け、次いで九月一〇日から岩手労災病院で治療を受けている。

岩手労災病院では当初整形外科に入院し、肋骨骨折の治療を受けていたが九月二七日からは、めまい、頭痛がするので外科からの治療を合わせて受けていた。入院中は、めまい、頭痛の治療が主に行なわれ、いずれの症状も軽快したので、一一月二日同院を退院している。退院後、翌四九年六月三日まで一週間に一回位の割合で薬をもらいに通院していた。この間原告は軽度の項部痛を訴えていた。その後四ヶ月余の空白があって、同年一〇月一七日からまた投薬を受けるようになった。この時原告は項部の張り、肩凝り、目まい、左胸部を下にすると重苦感がある、と訴え、翌五〇年六月二五日まで週一回位の割合で薬をもらいに行っていた。

(2) 原告の後遺症

証人鈴木渉は概ね、「退院したあとは投薬のみで治療はしていない。翌四九年六月三日まで薬をとりにきていたがその間軽度の項部痛を訴えていた。一〇月一五日診断書を書いてほしいと言うので書いた。一〇月一七日項部の張り、肩凝り、めまい、左胸部を下にすると重苦感があると訴えて来院したので薬を渡した。以後五〇年六月二五日まで一週間に一回位の割合で薬をとりにきたが、本人がとりに来ていないので、その後症状がどうなったかは知らない。一〇月一七日の症状も他覚的所見はなく、自覚症状である。」と証言している。一方原告は、現在の症状として「耳鳴りがする。雨が降るような時耳も痛い。」と証言し、また原告の夫畠山専蔵は「原告は入院中退院後現在まで耳鳴りがひどく、夜も満足に眠れないようだ。」「岩手労災で耳鳴りは事故の後遺症とはっきり言われた。」と証言している。しかし、前記鈴木医師は、入院中も退院してからも原告から耳鳴りがするとの症状を訴えられたことはないと明言し、カルテにも書いていないと証言しており、さらに一〇月一七日再来院した際も原告は前記の症状を訴えたが睡眠は普通にできると言っているというのであって、夫畠山専蔵の証言は全く信用できない。そもそも四九年六月三日まで軽度の項部痛を訴えて薬をもらいに行っていたにすぎない原告が、その後、四ヶ月余りも経過した一〇月一五日診断書をとりに行っているが、この時は、症状につき何らの訴もしなかったのに、二日後の一七日に来院して、項部の張り等、ことこまかく訴えていること自体、いかにも不自然である。一五日には何んでもなかったのが一七日になって種々の症状が出て来たとはナンセンスである。しかも一〇月一七日以降昭和五〇年六月二五日まで原告は来院せず、ただ代理のものが薬だけをとりに行ったということからは、ただいぜんとして本件事故による治療を続けているという事実を作らんとしたにすぎないと推察せざるを得ないのである。

現在の症状として原告は耳鳴りを強調するが、一〇月一七日に症状をこまかく訴えているが、その時にも耳鳴りの症状は訴えていなかったことは明らかであるから原告には今なお本件事故に基因する後遺症があるとの主張は、全くその根拠を欠くと言わなければならない。

原告の治療期間は、診断書等によると長期にわたっているが、その内容は、四八年一一月二日に退院したあとは、薬をもらいに行くだけであったのでおり、また四九年一〇月一七日以降は代理人がとりに行っていたのであるから、このような治療経過を前提にすると、原告の慰藉料としては金七〇万円が相当と思料する。

(三一) 原告岩淵京子

(1) 治療経過

原告は左腰部を打撲し事故日に東北労災病院で手当を受け、翌九日には仙台鉄道病院で治療を受けた。当時原告は妊娠二ヶ月であったから九月一一日吉田医院で診察を受けたがその際異常はなかったけれども一〇月二日出血し、一〇月一九日切迫流産した。

(2) 本件事故と流産との関係

(イ) 原告の左腰部打撲は、当初診察した東北労災病院では病名として記載されておらず、仙台鉄道病院で軽度の疼痛のみとされていることから見て打撲の程度はごく軽いものであったと思われる。

(ロ) 原告の証言によれば、原告は東北労災病院の医院および吉田医院から一週間程度様子を見てなさい、それで大丈夫だったらば大丈夫でしょうと言われていたところ、その後何事もなかったが、一〇月二日に至り、軽い出血があったという。

(ハ) さらに原告の証言によれば、吉田医院では、原告の流産が本件事故と関係があるともないとも言えないと判断していたことが窺えるのであり、このため治療費は一応原告が支払っているのである。

右の事情からすると、原告は軽度の打撲を受けてから二五日たって出血しているのであって、前記(ロ)からは医学上は打撲後一週間位で発症するのが通常と認められることからして、原告の出血が本件事故による左腰部打撲に基因するかははなはだ疑わしいのである。百歩譲って関係ありとしても打撲が流産に及ぼした影響は、ごくわずかであったと認められる。なお交通事故によって妊娠六ヶ月で流産した事例につき慰藉料として金七〇万円を認めた判例があるが(交通民四・三・八八五、判時六三七・六三)、これを原告の場合と対比すると、妊娠二ヶ月と初期であり、かつ本件事故との関係が疑わしいのであるから仮りにある程度の寄与度あったとしても、原告に対する慰藉料は、右事例額より大幅に下回ることは言うまでもない。

(三二) 原告岩淵敦子

治療経過と原告の損害

原告は、左手関節部の挫傷のほか腰部等を打撲し事故日に東北労災病院で手当を受け、翌日仙台鉄道病院で治療を受けたが、その後はいずれの医療機関にもかかっていない。仙台鉄道病院の診断書によれば原告の傷害の程度は「疼痛著明ならず、運動障碍なし」というものであり、ごく軽症であったと認められるのであって、現在残っている症状として原告は立ちくらみ、めまい、肩こり等を証言しているが、単なる軽い打撲であったにすぎないのに四年近くたって右症状があるとは、到底考えられないところである。原告の慰藉料としては金一万円が相当と思料する。

(三三) 原告合澤佳寿子

治療経過と原告の損害

原告は右上腕、胸部打撲の傷害を負い、事故日に仙台鉄道病院で手当を受け、次いで九月一〇日から一〇月二三日まで山崎整形外科医院で通院治療をしている(実通二四日)。同院では四八年一〇月二三日をもって「漸次経過良好・治癒見込」と診断されている。仙台鉄道病院では右上腕のレントゲン検査をしたが骨に異常はなく、山崎整形外科医院で胸部のレントゲン検査をした結果右第三肋骨軟骨に皹裂骨折があることが判明した。右骨折は、軟骨にひびが入った程度のものであって、軽微なものである。原告は現在の症状として骨折の跡が痛む、右腕、上半身、肩から背中、胸にかけて痛いと証言しているが、軽微な軟骨のひびにすぎない骨折がいまだに痛むとは考えられないし、前記の「経過良好」との診断があり、それ以降いずれの医療機関でも治療していないことも合わせると、本件事故に基因する症状が今なお残存しているとは到底認めることはできない。なお原告は、現在はないけれども事故後に心臓発作が数回起きたと証言しているが、同人には右発作が事故前にもあったようであり、狭心症と診断されているようでもあるからこれを本件事故と結びつけるには根拠薄弱と思われる。原告の慰藉料としては金八万円が相当と思料する。

(三四) 原告大森(旧姓鈴木)和子

(1) 治療経過

原告は顔面および背部を打撲し、事故日に渋谷病院、次いで翌九日仙台鉄道病院で各治療を受けたが、一一日から二一日まで花巻厚生病院に通院した(実数二日)。同院では治癒・後遺症無しと診断している。

(2) 椎管内障および腰仙移行椎

(イ) 証人佐々木隆医師によれば、原告は四八年一二月二〇日「二日前から自然に腰が痛くなった」と訴えて花巻厚生病院に来院した。同医師は椎管内障と診断し牽引したところ原告は激痛を感じ動けなくなったので同月二二日まで同院に入院した。

次いで翌四九年一〇月一七日「腰が時々痛い。前屈するのがちょっと障害される。その他運動はいい。」と訴えて同院に来院したので同医師が腰部のレントゲンをとったところ、仙椎が腰椎化した腰仙移行椎であることがわかった。その後同院に通院しなかったが、五〇年二月一四日背部痛を訴えて来院し、急性背部痛の病名で同年四月一五日まで入院し治療を受けている。

原告は、本件事故の後遺症として腰仙移行椎が発生した、このため前記のごとき入通院を余儀なくされ、現在なお背中から腰にかけて痛みがあり、苦痛の毎日を送っているとして慰藉料五四五万円を請求している。

しかしながら、椎管内障、腰仙移行椎、急性背部痛が本件事故の際受けた顔面および背部打撲症と関係があることは問題である。

(ロ) 四八年九月一一日顔面、背部打撲症を診察した証人佐々木によれば、打撲した部位には「所見としては特になかった」というのであり、かつ二日通院したのみであったことから原告が本件事故で蒙った打撲は軽度のものであったと考えられる。四八年一二月二〇日椎管内障と診断されているが、この時の原告の訴えは「二日前から自然に腰が痛くなった」というものであり、本件事故では腰部を打撲した事実もなく、さらに証人佐々木隆によれば、外力によって腰痛が発症することはあるが、通常は外力を受けた直後(一、二日のうち)に何らかの症状が出るというのであるから事故から三ヶ月以上経過した時点での腰痛が本件事故による顔面、背部の打撲と関係づけるのは到底不可能である。

(ハ) 原告は四九年一〇月一七日腰仙移行椎と診断されているが、これは仙椎が腰椎化された先天的なものであるから、これが顔面、背部打撲とおよそ関係がないことは明らかである。証人佐々木隆は、原告の腰痛の原因としては、椎管内障あるいは腰仙移行椎が痛みの根源となりうる旨を証言している以上原告の本件事故による打撲と腰仙移行椎そのものとは全く関係ないのであり、また腰仙移行椎の人が腰に外力を受けこのため腰痛が発症することは考えられるが、その場合は外傷後直ちに発症するのであるから、原告の場合、事故から三ヶ月以上腰痛がなかったのであり、この点においても本件事故の打撲と原告の腰痛とは全く関係がない。

(ニ) 原告は五〇年二月一四日から急性背部痛で入院しているようであるが、腰痛が背中まで及ぶこともあり(証人佐々木隆証言)また急性の場合一週間前後のうちに発症したと考えられるから二年以上も前の軽度の背部打撲が影響しているとは考えられない。

(3) 原告の損害

前記のとおり、本件事故によって蒙った原告の顔面および背部打撲は四八年九月二一日には全治しているから、これに対する慰藉料としては金一万円が相当である。

なお腰椎用コルセット代、治療費、入院雑費等が認められないことは当然である。

(三五) 原告東海林利恵

治療経過と原告の損害

原告は眉毛部挫傷および肩、足の打撲を負い、事故日から九月一九日まで渋谷病院で入院治療を受け、退院日に仙台鉄道病院でも治療を受けている。同院で治癒・後遺症無しと診断されている。渋谷病院の診断書によれば「軽快退院」と記載され、また仙台鉄道病院では治癒となっていることから、退院後どこの医療機関にもかかっていないことをも考え合わせると原告の退院時の症状は退院後間もなく消失したと認められ、今なお、本件事故に基因する症状があるとの証言は信用できない。

原告に対する慰藉料としては金一〇万円が相当と思料する。

(三六) 馬場智恵子

治療経過と原告の損害

原告は頸椎捻挫等の傷害を負い事故日から九月一五日まで伊藤病院で入院治療を受け、次いで同月一七日から翌年一〇月二九日まで八戸赤十字病院で通院治療している(四八年九月一七日から翌四九年一月三一日までの実通院日数二二日、四九年二月一日から同年一〇月二九日までの実通院日数五日)。同院で昭和四九年一〇月二九日をもって治癒・後遺症無しと診断されている。原告の治療期間は長期にわたってはいるが四九年三月からは同月に一日通院したのみでそれ以降は通院しておらず七ヶ月後の同年一〇月に二回通院し、その結果治癒と診断されている(丙第二〇号証の二〇)のであって傷害の程度はさほどの重傷であったとも考えられない。

原告の慰藉料としては、金三〇万円が相当と思料する。

(三七) 原告松谷貴寿

治療経過と原告の損害

原告は頸部、頭部等を打撲し、事故日とその翌日仙台鉄道病院で手当を受け、次いで九月一〇日から一一月六日まで藤坂診療所で通院治療している(実通院二九日)。同診療所で四八年一一月六日をもって後遺症なしと診断されている。原告は、「一〇日間位店に出られなかった」「藤坂診療所で治療を受け最初のあたりよりずっと良くなった」と証言しているのであって、今だに本件事故に基因する症状があるやに証言する部分は到底信用できない。なお、原告の証言および甲第三一号証の四によれば、事故前開腹手術をし、この影響から時たま腰痛等の症状があり、その都度マッサージを受けていることが認められ、仮りに原告が証言する症状があるとしても右既往症によることも充分考えられるところである。また上田病院でマッサージを受けたと主張するが、甲第三一号証の三(領収書)からは治療期間も明確ではなく、部位の表示についても後で書入れたようにも認められ、本件事故に基因するマッサージであったかは著しく疑問である。

原告の慰藉料として金二〇万円が相当と思料する。

(三八) 原告佐々木州

治療経過と原告の損害

原告は右肩頸部を打撲し九月九日仙台鉄道病院で手当を受け、次いで九月一〇日から一〇月二〇日まで町立三戸病院で通院治療を受けた(実通二七日)。同院で四八年一〇月二〇日をもって治癒・後遺症無しと診断されている。

原告は四九年五、六月頃右肩が痛くなり小笠原外科医院に通院したと証言し、甲第三二号証の三および五によれば四九年六月六日から同年七月一九日(実通二二日)まで同院にて右肩関節周囲炎で治療し、七月一九日には全治したと記載されている。

しかし、四八年一〇月二〇日をもって三戸病院では右肩頸部の症状は、治癒したと診断しているのであって、その後八ヶ月も経過してたまたま本件事故で打撲を受けたと同じ部位に痛みがきたからと言って、軽々にこれも本件事故の打撲と結びつけることはできない。甲第三二号証の三によれば原告は四九年六月六日の初診時右肩痛治療のほか、本態性高血圧症による治療も受け、この血圧症による治療は、診断書を発行した一〇月一七日現在でも治療中となっており、むしろ血圧症が主たる症状とも考えられる。高血圧の人に肩痛肩こりの症状があらわれやすいこと、また原告の年令からみても一過性の肩痛が時として起ることがありうることも右肩痛と本件事故との因果関係は著しく疑問である。原告は、薬店で薬種商である夫の手助けをしていたことは考えられるものの本来は主婦業が主であったと認められるから休業中の減収は四八年女子労働者平均賃金を基準とすべきである。

原告の慰藉料としては金二〇万円が相当と思料する。

(三九) 原告浄法寺信子

(1) 治療経過

原告は頸部捻挫等の傷害を負い、事故日とその翌日仙台鉄道病院で手当を受け、九月一〇日から一一月七日まで三沢病院で通院治療した(実通一三日)。次いで一一月一〇日から一二月七日まで十和田温泉病院に入院したが、退院後はいずれの医療機関でも治療を受けていない。退院後三沢病院、市川病院へ腰痛、脇腹痛のため通院したようであるが、これは本件事故と関係のない腎孟炎と診断され、本件事故の打撲とは関係ないと市川病院でも診断されているようである。

(2) 原告の損害

原告は肩の突っ張る感じと目がけいれんしたり充血したりする症状があると証言する。しかし十和田温泉病院では退院時「経過はよい」と診断されており、また前記のとおりその後はどこででも治療を受けていないのであって、退院後三年以上も経過しているのに本件事故に基因する肩の張り等が残存することはこの点についての診断書もない以上本人の証言だけからでは、軽々に信ずることができないのである。

原告に対する慰藉料としては金四〇万円が相当と思料する。

(四〇) 原告石井恵子

(1) 治療経過

原告は左肩打撲等の傷害を負い、事故日岩崎医院、翌日仙台鉄道病院で手当を受け、次いで九月一〇日から一五日まで(実通五日)神外科に、九月一九日から一二月一五日まで斉藤外科に通院して治療を受けている(実通七日)。同院では一二月一五日をもって治癒・後遺症無しと診断されている。

(2) 原告の損害

原告は今だ本件事故に基因する症状があるやに証言しているが丙第二三号証の三によれば「疼痛著明ならず機能障碍なし」とあり、丙第二三号証の七によれば「レ線上骨折なし打撲比較的軽度」とあるから、疼痛が比較的長く残ったとしても、今なお残存しているとは到底考えられない。

原告の慰藉料としては金八万円が相当と思料する。

原告は本件事故のため薬店を休んだのは一週間位と証言しているのであり、また前記のとおり原告の症状は軽度の打撲による疼痛であったから、三か月にわたり給料が減額(七万五千円)されたとの証言は信じがたい。茶道教授休業分を請求するが、当時原告が茶道教授していたとの何らの資料もなく、その内容に至っては全く窺い知れないのであり、原告の証言だけで認めることは不可能である。仮りに教授だとしても薬店は一週間位休んだそうであるが、軽度の打撲にすぎない原告が茶道教授の方だけ四ヶ月も休む必要はないと思われる。

(四一) 原告石井タエ

(1) 治療経過

原告は前額部挫創等の傷害で事故日岩崎医院、翌日仙台鉄道病院で手当を受け、次いで九月一〇日から九月一五日まで(実通六日)神外科、九月一九日から一〇月一九日まで斉藤外科医院で通院治療している(実通五日)。同院で昭和四九年一〇月一九日をもって治癒・後遺症無しと診断されている。

(2) 原告の損害

(イ) 丙二四号証の一ないし八によれば原告の負傷は経過良好で神外科では九月一五日をもって治癒と診断しているぐらいであって、程度は軽症であったと認められる。後遺症として一年を通し打撲を受けた部分に痛みが残ると主張するが、原告の証言によれば「現在でもどこか悪いところが出るんじゃない、と心配がある」「打った胸の方が一番心配だ」というのであり、現在症状があるわけではなくただ何かあったら心配だと言うにすぎないようであるから、後遺症の主張は認められない。

原告の慰藉料としては金八万円が相当と思料する。

(ロ) 自家薬品を二三万円使用したというが、原告の証言からは、原告はどこかが痛くなると直ぐ心配になって病院に出かけたようであり、また斉藤外科には、治癒の診断を受けた一〇月一九日以降も薬だけはもらいに行っていたようでもあり、そうであれば、何も自家薬品を使用する必要は全くなかったわけである。

(ハ) 原告は石井薬局の社長であり、給料は減額されていないから休業損害はない。

原告は、石井薬局を原告と夫と娘の三人で営業していた。原告は一か月は完全に休み、その後一か月位ぼちぼち店に出られるようになったと証言しているが、原告の前記負傷の程度からみて一か月全休するほどの怪我とも思えない。娘の石井恵子は一週間位で復帰したのであり、また二ヶ月以上アルバイトを使ったとすれば、原告の休業中夫が頑張ったであろうことをも考え合わせるとそもそも売上減少があったとも考えられないのである。

(四二) 原告大久保チヨ

(1) 治療経過

原告は、頸部、右肩打撲の傷害を負い、事故日東北労災病院、翌日仙台鉄道病院で手当を受け、次いで九月一〇日から九月二九日まで神外科で通院治療をし(実通七日)、さらに一〇月一日から翌々五〇年七月一九日まで梶野整形外科医院で通院治療している(実通二一三日)。

(2) 原告の後遺症と損害

(イ) 原告は右外傷性頸部症候群の病名で梶野外科に通院していたのであるが、その経過をみると昭和四九年一二月までは月平均一二、三回通院していたが、五〇年一月からは通院回数が減少し月平均三回位となり五〇年七月一九日が最終治療日で、その後は通院せず翌五一年六月一〇日診断書をもらいに行っている。同外科が発行した診断書によると四九年五月八日付で「今後約三ヶ月間の安静通院加療を要す」(甲第三六号証の一ノ一)、四九年九月四日付で「引き続き二ヶ月間の安静通院加療を要す」(同号証一ノ二)、四九年一〇月二三日付で「漸次改善中なるも……今後三ヶ月位の加療を要するものと思われ、後遺症として神経症状を残す見込み」(同号証の二)、五〇年四月一八日付で「今後約三ヶ月の経過観察の必要ありと認む」(同号証の三)となっており、そして五一年六月一〇日付では「局所に頑固な神経症状を残存する」(同号証の五)と診断されている。

(ロ) ところで前記のとおり原告は五〇年七月一九日を最後に通院していないのであるが、この頃は七ヶ月前から通院回数も月三回位と減少していたのであり、この当時の原告の症状はかなり回復していたと考えられるのである。

その根拠としては、それ以降同院には通院しなかったことからも推察できる。しかるに最終治療日の五〇年七月一九日から一年近くも経過して突然同院に来院した原告に対し「局所に頑固な神経症状を残存する」との前記診断書を発行したのは不思議である。一年近くも患者を診察していない病院が、右のごとき診断書を発行すること自体いささか軽率と思われる。原告はその一年近くの間に狭心症等で河原木医院に通院し、また慢性副鼻腔炎、慢性咽喉頭炎、肥厚性鼻炎で五〇年一一月五日から洲崎病院にて治療を受けていたのであり、右症状は重かったらしく翌五一年一一月一四日から同年一二月八日まで、入院して手術を受けているのである。このように一年近くの間に原告は種々の病気に悩まされており、これらの病歴を無視して、一年近く前の患者に対し交付された前記診断書は、この点においても信憑性を疑わざるを得ないのである。原告によれば慢性鼻腔炎等の症状は頭痛等をともなうようであり、鼻や咽喉の病巣は往々にしていわゆるむち打ち症状と同じような症状を招来させることも一般的であってみれば、なおさら右診断書に対する信頼は欠かざるを得ないのである。

(ハ) 原告は神外科および梶野外科で各レントゲン検査を受けているが、いずれも異常がなかったから、原告の外傷性頸部症候群はもともと他覚的症状を伴わない単なる自覚症状にすぎないものであった。おそらく原告は、一年ぶりに梶野外科を訪ね、その際症状を強く訴え、この主訴に基づき同外科ではこれを「頑固な神経症状」として診断書に記載したものであろう。

以上、五〇年七月一九日当時通院回数も減少しており、症状は軽快していたと認められること、七月一九日以降通院していないこと、通院をやめてから原告は種々の病気にかかっていること、もともと他覚的症状のないむち打ち症であったことからみて、原告の「今でも首を左に曲げると右の方がつっぱる。右腕の方は力仕事がだめである」との証言は相当割引いて考えなければならない。

なお、後遺症等級表によれば、頑固な神経症状(一二級一二号)は他覚的症状を伴うものをいうのであり、原告の場合は自覚症状だけであるから仮りに神経症状があるとしても一四級一〇号の「局部に神経症状を残すもの」に該当するにすぎない。当時一四級該当の慰藉料は金一九万円の八割相当であった。

通院慰藉料としては金六〇万円が相当と思料する。

(四三) 原告西村洋子

治療経過と原告の損害

原告は胸部、左膝関節打撲の傷害を負い、事故日と翌日仙台鉄道病院で手当を受けたほか、九月一九日から一〇月二七日まで益川外科医院にて通院治療している(実通三四日)。同院で四八年一〇月二七日をもって治癒・後遺症無しと診断されている。

慰藉料として金一五万円が相当と思料する。

自家薬品を五〇万円相当使用したと主張するが、原告は家から五、六分のところにある益川外科に通院していたのであるからもし希望すれば必要な薬は同院からもらえたはずであり、前記のとおり同院では一〇月二七日をもって治癒・後遺症無しと診断している以上、自家薬品を五〇万円余も使用する必要は全くなかったはずであるから、右主張は不当である。原告の証言によれば店を閉めたのは六~七日であるようで、その間の休業損害にしては一八万余円の請求はいかにも過大である。

(四四) 原告勝倉脇子

治療経過と原告の損害

原告は左腰部打撲により九月一〇日仙台鉄道病院で手当を受け、次いで九月一四日志津川組合病院で治療している。いずれの病院でも治癒見込、後遺症無しと診断されており(丙第四三号証の一、三)、同号証の一では「歩行時痛なし」とも記載されていることからも、原告の打撲は軽微であったと思料される。

なお原告は四九年九月一一日腰痛を訴えて志津川組合病院に通院したようであるが、これについては同院で骨が曲がっていると診断されているとのこと、右腰痛が一年前の軽微な打撲とは何ら関係がないのは言うまでもない。

原告の慰藉料としては金一万円が相当と思料する。

7  被告京成運輸は、原告らの治療費として別紙(三)「診療関係一覧表」のうち「診療費用」欄記載の金員を支払い、かつ、原告小田島専司、同小田島イネ、同森洋子、同森京子、同森裕子、同高橋悦子、同佐々木つやの、同枡沢智子、同及川幹子、同柳沢妙、同東海林利恵、同馬場智恵子らに見舞金として各金一万円を支払った外原告らに対し果物等の見舞品を贈っている。

第三証拠《省略》

理由

一  昭和四八年九月八日午前一〇時三五分頃、宮城郡宮城町愛子東五の三仙山線愛子・陸前白沢間の第三・二軒在家踏切(本件踏切)において、仙台発山形行下り急行列車「仙山一号」(被告国鉄の被用者工藤英夫運転士運転、六両編成)と被告京成運輸の被用者佐々木則夫運転の大型貨物自動車とが衝突し、同列車先頭車両が進行方向左側に脱線転覆する事故(本件事故)が発生したことについては当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、原告佐々木正を除くその余の原告らは、いずれも右「仙山一号」の先頭車両に乗車していたが、右事故により負傷したものであること(但し負傷の点については後記のように原告石川孝子を除く。)が認められる。

二  本件事故の原因及び被告らの責任について

1  《証拠省略》によれば、本件事故現場は、ほぼ南北に通ずる町道とほぼ東西に通ずる仙山線軌道とがほぼ直角に交差する踏切道で国道四八号線から分岐した右町道を南に約一五八メートル入った地点で仙台起点一六・九五キロメートルの軌道距離の地点であること、右町道は幅員四・〇ないし三・一メートルの非舗装の砂利道であるが、踏切の前後各一七メートル位がアスファルト舗装されていたこと、仙山線下り列車は愛子駅を出発した後陸橋を渡り左曲りのカーブを過ぎて愛子駅から一〇六九メートルで第一・二軒在家踏切(農事試験場踏切)を通り、同踏切から三九三メートル直進して第二・二軒在家踏切を通過し、更に同踏切から二六八メートル直進して本件の第三・二軒在家踏切に至ること、本件踏切は当時踏切遮断機、警報機などの保安設備が設置されていない第四種踏切であったこと(この事実については当事者間に争いがない)、本件踏切付近の線路の北側は線路の側溝に沿って夏草が約一・二メートルの高さに生い茂り、線路の南側は草原であり、本件踏切の東側は道路側溝沿いの草原の北側に梅林があり、踏切道における軌道の中心線と道路の中心線との交点(基点)から東に約一九メートル、軌道の中心線から北に約五・三五メートルの所に直径約〇・四メートル、高さ約一〇メートルの松の木一本、右基点から東に約二九メートルで軌道の中心線から北に約五・六メートル、約六・九メートルの各地点に夫々直径約〇・二メートル、高さ約一〇メートルの栗の木一本づつ立っており、右松の木及び栗の木に葛などの蔓草がからみついていたこと、本件踏切の南側の町道沿いには当時人家や倉庫がまばらに散在するに過ぎず、本件踏切の交通量は、一日当りの鉄道交通量が三五、道路交通量は一一八八ないし一三二六(踏切道の保安設備の整備に関する省令((昭和三六年一二月二五日運輸省令第六四号))による換算をしたもの。その実数は、昭和四七年七月当時歩行者一二〇人、諸車七五台、三輪以上自動車五四台位であり、昭和五〇年九月当時は歩行者一八人、諸車七台、三輪以上自動車九六台位である。)であったこと、仙山線は甲種線区であるが、右の交通量などからして踏切道改良促進法三条二項により踏切警報機又は踏切遮断機を設置すべきものとして前記省令により指定された踏切道には該当しないこと、本件踏切においては本件事故以前に踏切事故はなかったこと、本件事故後の昭和四八年一二月に本件踏切道に踏切遮断機及び警報機が設置されたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

2  《証拠省略》によれば、本件踏切から東方は約七〇〇メートルが直線であり、西の方は約一キロメートルが直線であること、昭和四八年九月一三日仙台北警察署司法警察員らが本件被告京成運輸の大型貨物自動車と同種の大型貨物自動車を用いて、本件踏切の北側町道上の右自動車運転席から線路上への見通し状況等の実況見分をしたが、その結果、踏切から右方(山形方向)への見通しは良いが、左方(仙台方向)への見通しは前記松、栗の木及びこれらにからみついた葛、架線柱などに遮ぎられて良くなく、前記基点から北方一・九メートルに右自動車の先端がくる位置では四六三・四メートル、二・四メートルの地点では四〇二・七メートル、二・九メートルの地点では三八一・〇メートル、三・四メートルの地点では三八一・〇メートル、三・九メートルの地点で二九八・六メートル、四・四メートルの地点で一七五・一メートル、四・九メートルの地点で一一四・七メートル、五・四メートルの地点で八四・〇メートルであったこと、又同年一二月六日仙台地方検察庁検察官が佐々木則夫を立会わせて前同様の実況見分をした結果、右佐々木を前記事故車と同一型式の大型貨物自動車に乗車させ、通常の運転状態の姿勢(以下運転姿勢という。)をとらせたときの同人の地上からの目の高さは二・四メートルであり、運転席から身を乗り出して確認する姿勢(以下確認姿勢という。)をとらせたときの同人の地上からの目の高さは二・三五メートルであったが、前記基点から北方一・九メートルに右自動車の先端がくる位置における運転姿勢での東方の見通しは電柱や車窓枠に視野をさえぎられて遠方の見通しがきかないが、確認姿勢では四一五メートル先を見通すことができ、基点から二・四メートル、二・九メートル、三・四メートル、三・九メートルの各地点における確認姿勢での見通しはいずれも四一五メートル、基点から四・四メートルの地点における確認姿勢での見通しは二七八・六メートルであったことが認められ、又《証拠省略》によれば、本件事故後前記昭和四八年九月一三日の実況見分が行なわれるまでの間に線路北側の側溝沿いの夏草が刈取られ又は踏みつけられ、松の木等にからみついていた葛などが刈り落されて見通しが良くなったことが認められるが、これらの状況の変化は、彼我の位置、距離、高さ等の関係からして、前記基点から北方一・九ないし三・九メートルの各地点から線路東方への見通し状況に関する限り前記二回の実況見分の結果をそう大きく左右するものではないことが認められ、右認定に反する証拠はない。

3  前記1、2認定の事実及び《証拠省略》によれば、被告京成運輸の自動車運転手である前記佐々木則夫は同被告の業務のため同被告仙台営業所から本件踏切の南方にある不二サッシ倉庫にスチールサッシを運送するべく本件大型貨物自動車(ニッサンディーゼル七二年式、最大積載量一一〇〇〇キログラム、車両重量八五八〇キログラム、車長一一・五七メートル、車幅二・四九メートル、車高二・七一メートル)に右積荷約一トンを積載して昭和四八年九月八日午前一〇時頃仙台営業所を出発し、運転席のガラス窓は右側を全開し、左側を上から三分の一位開いて進行し、国道四八号線を経て、同日午前一〇時三〇分過頃本件町道に入り時速二五ないし三〇キロメートルで町道を南進し本件踏切にさしかかったが、前認定のように本件踏切には踏切遮断機、警報機などの設備がなく、同町道から右方(山形方向)への見通しは良いが、左方(仙台方向)への見通しが困難な状況であったのであるから、右佐々木としてはできるだけ線路上を遠くまで見通せる所に進出して安全を確認したうえ踏切を通過し事故の発生を防止すべき注意義務があるのにこれを怠り、基点の手前六・七メートルの地点に一時停止したが左方(仙台方向)への見通しが殆どきかず安全が確認できないのに、列車は来ないものと軽信し、踏切に自車を乗り入れた過失により折から同踏切に時速解八〇キロメートルで仙台方向から進行してさしかかった前記「仙山一号」を三〇ないし四〇メートルの至近距離に発見し、自車を加速させて踏切を渡り切ろうとしたが間に合わず、横断中の自車左側中央部付近を同列車最前部に衝突させ、先頭車両を転覆させたものであることが認められ、《証拠判断省略》、被告京成運輸は民法七一五条により損害賠償の責任があるといわねばならない。

4  前記1認定のように、本件踏切道の交通量が当時稀であって、法令により踏切遮断機又は警報機を設置すべきものと定められた基準をはるかに下廻っていたこと、本件事故以前に踏切事故がなかったこと等からすると、被告国鉄が本件踏切道に右踏切遮断機又は警報機を設置しなかったことをもって民法七一七条の土地の工作物たる軌道施設の設置に瑕疵があるものとは認め難い。

又原告らは本件踏切付近に雑木等が生い茂っていたのを放置したことをもって設置保存に瑕疵があったと主張し、《証拠省略》によれば、前記基点の手前四・四メートル、四・九メートル、六・九メートルに前記貨物自動車の先端が位置するところの運転席から線路東方を見通した場合前記松の木とそれにからみついている葛葉が見通しを妨げていることは認められるが、《証拠省略》によれば、右葛葉等がからみついていることによる見通しの影響はそれ程大きくないことが窺われ、《証拠省略》によれば、右松の木は国鉄の所有地外に生立しているので被告国鉄の管理の及ばないものであることが認められるので、右原告らの主張も採用できない。

しかし、本件踏切は、右のように踏切遮断機、警報機などの保安設備がなく、前記2認定のように町道から線路へ、又線路から町道への見通しが良くない状況であったのであるから、本件踏切を通過しようとする列車は予め警戒気笛を吹鳴して町道を通行する人や車に列車の接近を知らせ、もって踏切事故などの発生を防止すべき注意義務があるものと認められる(日本国有鉄道規則二九条。)。

ところで、《証拠省略》によれば、本件踏切の付近には右警戒気笛を吹鳴すべきことを標示する気笛吹鳴標識がなかったことが認められ、前記工藤運転士が右警戒気笛を吹鳴したか否かについては、《証拠省略》中には、右工藤運転士が愛子駅通過後前記1の陸橋を過ぎカーブにかかる前と前記第二・二軒在家踏切通過後本件踏切の手前約二六〇メートルの地点とで各一回長緩気笛(警戒気笛)を吹鳴した旨の部分があるけれども、《証拠省略》により後者の気笛を聴取できる範囲内に当時居合わせたと認められる者らの司法警察員に対する各供述調書である《証拠省略》中にはこれを聴取していない旨の部分があり、前示の気笛吹鳴標識がなかったことをも合わせ考えると、そのいずれであるかをにわかに断じ難い。

そうすると、被告国鉄は前記の注意義務を尽したことの証明がないことに帰するものというべく、右列車が本件踏切付近で警戒気笛を吹鳴し列車の接近を知らせたならば、《証拠省略》によれば、前記佐々木において、列車の通過を待って踏切を通過し本件事故が発生しなかったであろうことが窺われるので、同被告は商法五九〇条により旅客である原告らが被った損害につきこれを賠償する責任があるというべきである。

三  原告らの損害

1  《証拠省略》によれば、原告らはいずれも薬局、薬店の経営者又はその家族、従業員であって、原告佐々木正を除く原告らは、訴外ゼリア新薬工業株式会社主催の研修会兼慰安旅行会に参加するため山形県上山市の温泉旅館に赴く途中、本件事故に遭遇したもので、楽しみにしていた旅行の途次、突然思いもよらない本件事故に遭い、多数の負傷者と共に自らも後記のように負傷して悲惨な恐ろしい事故を体験し、甚大な精神的衝撃を受けたこと、原告らの多くは小規模な薬局、薬店の経営者、その家族又は従業員であって、右原告らの受傷による休業が右薬局、薬店の経営に直接影響し易い事情にあったことが認められ、一方《証拠省略》によれば、本件事故後、原告らを含む負傷者らは仙台鉄道病院外六ヶ所の病院に収容され治療を受けたが、事故当日治療を受けなかった者についても治療の必要が生じた場合は治療を受けるよう、又事故後直ちに収容され治療を受けた者について、転医を希望するときは随意に転医先をきめ、これらの入院先、転医先を被告国鉄に知らせてほしいこと、これらの治療費は被告国鉄が医療機関に直接支払う旨負傷者らに告知し、宮城県医師会、仙台医師会にも連絡して爾後の治療態勢について配慮したこと、そしてその後被告国鉄が右治療費を医療機関へ支払い、右金員を被告京成運輸が被告国鉄に支払っていること、被告国鉄は原告らを含む本件事故の負傷者に対し入院者に対し一人一万円づつ、その他の者に一人五、〇〇〇円づつの見舞金を事故の当日又はその翌日頃に支払い、被告京成運輸においても、事故の翌日頃、入院者に対し一人一万円づつの見舞金を支払い、かつ見舞品を贈り、その他の負傷者に対しても見舞品を送っていること、被告京成運輸は原告らを除くその余の本件事故の被害者と示談を成立させ、その内容は、前記治療費と別に、一日程度で治ゆした者については二、〇〇〇円、二、三日で治ゆした者については五、〇〇〇円程度を支払うこととし、最高の示談金額は五〇万円程度であったことが認められ、右認定に反する証拠はない。

2  原告小田島専司

《証拠省略》によれば、同原告の年令、職業は別紙(二)「原告らの損害及び請求金額一覧表」の該当欄記載のとおりであるが、同原告は、本件事故により頭部外傷、胸部打撲、頭頂部切創、腰部打撲等の傷害を受け、昭和四八年九月八日仙台市立病院に通院し、同日大沼医院に転医して翌九日まで二日間入院し、同月一〇日から同月二九日まで二〇日間(実日数九日)県立北上病院に通院加療し、その後同病院医師の勧めにより同年一一月一五日まで白藤リヨ方にマッサージに通院(実日数三二日)したこと、本件事故により同原告は背広上下と下着(価格一〇万円相当)がガラスの破片で破損し使用不能になったので捨ててしまったこと、右白藤方のマッサージ代として金四万八、〇〇〇円を同人に支払ったことが認められる。

次に前掲各証拠によれば、原告は右県立北上病院へ通院のためタクシー代などの交通費を要したことが認められるが、右金額を確定するにたりる証拠はなく、又原告は訴外株式会社田島屋薬局の代表取締役で原告の休業により報酬を減額されたことはないが、同会社の売上が減少して同会社が得べかりし利益を失ったこと、同会社は原告の妻である原告小田島イネが常務取締役、原告の子が専務取締役をしているいわゆる同族会社であることが認められるが、右会社の原告の休業による得べかりし利益の喪失額については《証拠省略》のみでは原告主張の右損害額を認めるにたらず、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

又原告は、右費用の他に温泉治療及び右会社の薬剤を服用した費用を支弁し、現在においても右肩に打撲傷の後遺症が残っている旨主張し、これに副うような《証拠省略》もあるが、右本人の陳述書である右《証拠省略》だけから、同人に右後遺症があるものとは断定し難く、又前記1認定のように被告らが治療に万全の措置を講じ医療費を負担する旨告知し実行している事実に照らすと、右温泉治療費及び薬品代が本件事故による傷害と相当因果関係のある支出であるとも認め難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の受傷の部位、程度、前記会社の売上減少の事実及び前記1認定の事情並びに諸般の事情を総合すると原告が本件事故により被った肉体的、精神的苦痛に対する慰藉料として金四〇万円が相当である。

そうすると同原告の損害額は合計金五四万八、〇〇〇円となる。

原告が原告訴訟代理人弁護士に本件訴訟を委任したことは記録上明らかであるが、右弁護士費用のうち金五万四、〇〇〇円は本件と相当因果関係のある損害として被告らに請求し得べきものと認められる。

3  原告小田島イネ

《証拠省略》によれば、同原告の年令、職業は別紙(二)「原告らの損害及び請求金額一覧表」の該当欄記載のとおり(但し薬剤師の資格はない。)であるが、同原告は本件事故により右前腕、腰部、頭部挫傷、胸部打撲傷の傷害を受け、昭和四八年九月八日仙台市立病院で治療を受けた後大沼医院に転医して翌九日まで入院し、同月一〇日から同月二一日まで岩手県立北上病院に通院して加療し(実日数六日)、その後同年一一月一五日まで前記白藤リヨ方にマッサージに通院したこと(実日数五八日)、本件事故により原告は革草履(価格八、五〇〇円相当)を紛失し、紬の和服等(価格三七万円相当)がガラスの破片で破れ、かつ血で汚れたため使用不能になったこと、右白藤方における治療費として金八万七、〇〇〇円を支払ったことが認められる。

《証拠省略》によれば、原告小田島イネは右県立北上病院へ通院する際タクシー代等の通院交通費を要したことが認められるが、その金額を確定すべき証拠はなく、又前記認定のとおり原告は訴外株式会社田島屋薬局の常務取締役であるが、前記負傷による休業のため報酬を減額されたことはなく、又同会社の売上が減少して同会社が得べかりし利益を失ったことが認められるが、右喪失利益については《証拠省略》のみでは原告主張の損害額を認めるにたらず、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

又原告は以上のほかに温泉治療費及び右会社の医薬品を治療のため使用した費用を支弁し、現在においても疲労し易い、各打撲部位のあとに痛みが残るなどの後遺症がある旨主張するが、《証拠省略》のみから原告に右の後遺症があるものとは断定し難く、又、前記1認定の被告側の医療態勢及び医療費負担の事実等に照らすと、右温泉治療費及び医薬品代が本件事故による負傷と相当因果関係のある出費であるとも断じ難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の受傷の部位、程度その他の事実及び前記1認定の事情を総合すると、原告の慰謝料として金三五万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金八一万五、五〇〇円となる。

原告が原告代理人弁護士に本件訴訟を委任したことは記録上明らかであるところ、右弁護士費用のうち金八万一、〇〇〇円が本件と相当因果関係のある損害として被告に請求し得べきものと認められる。

4  原告森洋子

《証拠省略》によれば、原告は、昭和一一年八月二〇日生れで、夫の経営する森薬局で稼働し、主として販売を担当し、右薬局は外に従業員一名を使用していたこと、原告の家族は夫婦と本件事故により共に負傷した後記原告森京子、同裕子の二人の子の四人家族であったこと、本件事故により原告は左肩挫傷(又は頸部捻挫)、腹壁、右臀部等打撲の傷害を受け、昭和四八年九月八日から同月一三日まで前記二子の付添看護をしながら仙台鉄道病院の治療を受け(実治療日数四日)、同月一四日から同年一二月四日まで同病院に入院して治療を受け、その後昭和四九年五月一五日まで同病院に通院して加療したこと(実日数一三日)、その後右打撲後遺症としての左肩関節炎、腰椎椎管内障により昭和四九年九月一二日から昭和五〇年一二月一九日まで大河原病院に通院して加療したこと(実日数二一〇日)、又原告は眼球の引索感、視力低下、めまい等を訴え仙台鉄道病院眼科の診察を受けた結果、遠視性単乱視、近視性単乱視、調節性眼精疲労との診断を受けたが、これは生来右眼が遠視性乱視、左眼が近視性乱視であるところ、年令、心身の疲労等により水晶体の調節力が衰弱してくると眼精疲労を来し発症してくるものであって、本件事故との間に因果関係があるか否か断定はできないが、仮にあるとしても右心身の疲労によるいわば間接的なものであること、本件事故により原告は腕時計、指輪、口紅(価格計四万三、〇〇〇円以上)を紛失し、着衣をクリーニングに出して六〇〇円を支払い、右仙台鉄道病院への通院交通費として一万二、五六〇円を要したこと、右原告の負傷による休業のため臨時に二人を二ヶ月間アルバイトに雇い一人につき一ヶ月五万円づつ合計二〇万円を支払ったこと、それにもかかわらず売上が減少して得べかりし利益を失ったことが認められる。ところで、右逸失利益の額については《証拠省略》のみではこれを認めるにたらず、他にこれを認めるにたりる証拠はなく、又原告は現在後遺症が残っている旨主張するが、《証拠省略》に照らすと、《証拠省略》のみから右後遺症が存するものとは断じ難く、又《証拠省略》によれば原告は前記原告京子、同裕子と共に年二回位三年間山形県肘折温泉に湯治に行っていることが認められるが、《証拠省略》のみでは右温泉の費用が本件受傷と相当因果関係のある出費であることを認めさせるに充分ではなく、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の受傷の部位、程度、店の売上が減少した事実、前記1認定の事情、その他諸般の事情を総合すると、原告の慰謝料として金一三〇万円が相当である。そうすると原告の損害は合計金一五五万六、一六〇円となる。

原告が本件訴訟を原告代理人弁護士に委任したことは記録上明らかであるが、右弁護士費用のうち一五万五、〇〇〇円が本件と相当因果関係内の損害と認められる。

5  原告森京子

《証拠省略》によれば、原告森京子は昭和三六年一〇月一三日生れで当時小学生であった者であるが、本件事故により左肩打撲、頭部打撲、左上腕打撲の傷害を受け、昭和四八年九月八日仙台市立病院の診療を受けた後仙台鉄道病院に入院し、同月一三日同病院を退院後、同月一四日から同年一二月四日まで同病院に通院加療し(実日数三日)、同年九月一九日から同年一二月二六日まで八島外科医院に通院加療したこと(実日数六八日)が認められ、右傷害の部位、程度、同人の年令、前記1認定の事情その他諸般の事情を総合すると、原告の慰謝料としては金五五万円が相当である。

なお原告は温泉治療費を主張し、前記4認定のように原告は母の原告森洋子、妹である原告森裕子と共に山形県肘折温泉に年二回位三年間湯治に行ったことが認められるが、《証拠省略》のみでは本件事故による受傷との相当因果関係を認めるにたらず、他に右相当性を認めるにたりる証拠はない。

原告の父母が法定代理人として本件訴訟を原告代理人弁護士に委任したことは記録上明らかであるところ、右弁護士費用のうち金五万五、〇〇〇円は本件と相当因果関係のある損害として被告らに請求し得べきものと認められる。

6  原告森裕子

《証拠省略》によれば、原告は昭和四三年一月一七日生れの女児であるが、本件事故により左顔面頬部顎部割創、頭部打撲の傷害を受け、頬部の割創は長さ約二センチメートルと三センチメートルで深さが夫々〇・五センチメートルの二つの傷、顎部のそれは長さ約一センチメートルで深さが約〇・五センチメートルの創傷であり、昭和四八年九月八日仙台市立病院で手当を受けた後仙台鉄道病院に入院して治療を受け同年一二月四日退院し、その後昭和四九年五月一五日まで同病院に通院加療したが(実日数四日)、後遺症として頬部に著しい醜状の瘢痕を残したことが認められ、同人の右傷害の部位、程度、後遺症、年令、性別及び前記1認定の事情並びに諸般の事情を総合すると同人の慰謝料としては金四八八万円が相当である。

なお《証拠省略》によれば前記のように原告は母子三人で温泉に湯治に行ったことが認められるが、《証拠省略》のみでは相当性を認め難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

原告の父母が法定代理人として原告代理人弁護士に本件訴訟を委任したことは記録上明らかであるところ、右弁護士費用のうち金四八万八、〇〇〇円は本件と相当因果関係のある損害と認められる。

7  原告佐藤たま子

《証拠省略》によれば、同原告の年令、職業は別紙(二)「原告らの損害及び請求金額一覧表」の該当欄記載のとおりであるが(但し薬剤師の資格はない。)、同原告は本件事故により胸部挫傷、右膝、左大腿、足関節部挫傷の傷害を受け、昭和四八年九月八日から同年一〇月一日まで二四日間渋谷病院に通院加療したこと(実日数七日)、本件事故により原告の指輪、ハンドバッグ、靴が破損して五万五、〇〇〇円相当の損害を受け、スーツ上下が汚損して二万円相当の損害を受けたこと、右渋谷病院への通院交通費として一万二、六〇〇円以上を要したこと(タクシー代片道九〇〇円の往復一四回分)が認められ、又《証拠省略》によれば原告は有限会社サモリを薬剤師の資格を有する夫と共に経営し、同会社は原告の本件事故による休業により売上が減少し得べかりし利益を失ったことが窺われるが、《証拠省略》のみでは右逸失利益の金額を認めるにたらず、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

又原告は本件事故による傷害の治療のため医薬品を用い、現在においても後遺症が残っている旨主張するが、右後遺症については《証拠省略》のみではこれを認めるにたらず他にこれを認めるにたりる証拠はなく、右医薬品代についても、前記1認定の被告側の医療態勢、医療費負担の事実等に照らすと《証拠省略》のみでは本件受傷との相当因果関係を肯認し難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の受傷の部位、程度、前記会社の利益減少の事実及び前記1認定の事情並びに諸般の事情を総合すると原告の慰謝料としては金一三万円が相当である。そうすると同原告の損害額は合計金二一万七、六〇〇円となる。

原告が本件訴訟を原告訴訟代理人弁護士に委任したことは記録上明らかであるが、右弁護士費用のうち二万一、〇〇〇円が本件と相当因果関係のある損害と認められる。

8  原告石川孝子

《証拠省略》によれば、原告は本件事故の際落ちてきた腰掛が頭に当り事故の翌日である昭和四八年九月九日と同月一四日頭痛と腰痛により仙台鉄道病院の治療を受け、同年九月一〇日から同年一〇月三〇日まで頸椎捻挫の診断名で大山医院に通院加療したこと、ところで原告は本件事故以前にも頭痛により右大山医院の診療を受けたことがあり、右仙台鉄道病院における診察では外傷及び傷害はないと診断され、脳波検査の結果も外傷によって生じたと思われるような異常所見はなく、仙台鉄道管理局長から同年九月一二日付をもって大山医院長宛に原告の治療を依頼したうえ治療費は国鉄が負担するので国鉄に請求してほしいという趣旨の文書を発しているが、昭和四九年一月八日右大山医院長から事故との因果関係があるとははっきり判断できないので、治療費二万円は本人が支払った旨の回答がなされていること、従って右仙台鉄道病院の医師の所見では、右頭痛、腰痛は本件事故と関係がなく、頸椎捻挫についても消極の見解であることが認められ、以上の事実によれば、本件事故と右頭痛、腰痛、頸椎捻挫との間に因果関係を認め難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

そうであるとすれば、原告が本件事故により原告主張の傷害を受けたことを前提とする損害の主張はその余の点について判断するまでもなく理由がない。

9  原告石原悦子

《証拠省略》によれば、原告は、昭和二五年八月二七日生れの女性で本件事故当時株式会社石川薬局に店員として勤務していたものであるが、本件事故により左下腿に長さ約一〇センチメートルの切創及び背部挫傷の傷害を受け、昭和四八年九月八日岩崎医院で七針縫う縫合手術を受け、翌九月九日仙台鉄道病院に、九月一〇日から同月二二日まで(実日数八日)横山医院に夫々通院加療したが、切創の箇所(左膝下)に長さ約七センチメートル、幅約一センチメートルの瘢痕を残したことが認められる。

右事実及び前記1認定の事情等を総合すると同原告の慰謝料として金三五万円が相当である。

なお原告は通院交通費を要した旨主張するがこれを認めるにたりる証拠はない。

原告が原告代理人弁護士に本件訴訟を委任したことは記録上明らかであるが、右弁護士費用のうち金三万五、〇〇〇円は本件と相当因果関係のある損害と認められる。

10  原告桜井富美子

《証拠省略》によれば、同原告の年令、職業は別紙(二)「原告らの損害及び請求金額一覧表」の該当欄記載のとおりでおるが、同原告は本件事故により腰部、左上腕打撲、左胸部打撲、頸部捻挫の傷害を受け、昭和四八年九月八日から同月二五日まで仙台鉄道病院に通院加療し(実日数三日)、同年一一月二〇日から昭和四九年七月一二日まで大沼医院に通院加療したこと(実日数四二日)、同原告には本件事故以前から脊椎分離症の既往症があったこと、原告は本件事故によりワンピース(価格一万五、〇〇〇円相当)が破損して使用不能となり、事故当日自宅まで帰ったタクシー代及び仙台鉄道病院までの通院交通費として計二、五五〇円を支出したこと、原告は薬剤師である夫と共にマルエス薬局の名称で薬局を経営し、併せて書籍の販売業も営んでいるものであるが、右負傷によって休業したことにより売上が減少し得べかりし利益を失ったことが認められる。しかしながら原告主張の逸失利益の額については、《証拠省略》のみではこれを認めるにたらず、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

なお原告の頸部捻挫の傷害については被告指摘の問題点が認められるが、右被告指摘の諸点及び《証拠省略》も前記認定を覆すにたらず他にこれを覆すにたりる証拠はなく、一方原告は後遺症が存する旨主張するが、《証拠省略》のみではこれを認めるにたらず、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の傷害の部位、程度、休業損害の事実及び前記1認定の事情並びに諸般の事情を総合して同原告の慰謝料は金三九万円が相当である。

そうすると原告の損害額は合計金四〇万七、五五〇円となる。

原告が原告代理人弁護士に本件訴訟を委任したことは記録上明らかであるが、右弁護士費用のうち金四万円は本件と相当因果関係のある損害と認められる。

11  原告佐藤まつ子

《証拠省略》によれば、同原告の年令、職業は別紙(二)「原告らの損害及び請求金額一覧表」の該当欄記載のとおりであるが、原告は本件事故により両手、右足首挫傷の傷害を受け、高橋医院に昭和四八年九月一〇日から同月二三日まで通院加療したこと、右治療費として金二万〇、一〇〇円を支払ったこと、原告は夫と共に佐藤薬店を経営しているが、右事故による受傷のため休業し売上が減少して得べかりし利益を失ったことが認められるが、右逸失利益の額については右各証拠によるもこれを確定し難く、他にこれを認定するにたりる証拠はない。

又《証拠省略》中には、事故の際網棚に顔面を打ちつけ、入れ歯がゆるんだので星歯科医院で治療を受け五万円以上を要したとの部分があるけれども、診断書その他客観的資料がなく、診療の時期も明らかではないので《証拠省略》のみからこの点に関する原告主張事実を認め難く、交通費、雑費についてはこれを認むべき証拠がなく、原告主張の後遺症についても《証拠省略》のみではこれを認め難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の傷害の部位、程度、休業損害の事実及び前記1の事情並びに諸般の事情を総合すると原告の慰謝料として金六万五、〇〇〇円が相当である。

そうすると原告の損害額は合計金八万五、一〇〇円となる。

原告が本件訴訟を原告代理人弁護士に委任したことは記録上明らかであるが、右弁護士費用のうち金八、〇〇〇円は本件と相当因果関係のある損害と認められる。

12  原告片倉重子

《証拠省略》によれば、同原告の年令、職業は別紙(二)「原告らの損害及び請求金額一覧表」の該当欄記載のとおりであるが、原告は本件事故により腰部、右大腿打撲、右肘部擦過創、右下肢切創、左肩胛部、右膝、左大腿打撲傷の傷害を受け、昭和四八年九月八日渋谷病院で通院治療を受け、同月一〇日から昭和四九年一月三一日まで黒沢外科医院に通院加療し(実日数四四日)たが、左肩胛、上膊、前膊から手に及ぶ運動痛、鈍痛並びに脱力感の障害が残遺していること、右事故により原告はシルクの風呂敷と万年筆(価格計一万円相当)、ハンドバッグ及び靴(価格計一万三、〇〇〇円相当)、洋服(一万五、〇〇〇円相当)を破損又は汚損して使用不能になったこと、原告は夫と共に片倉薬局を経営し、化粧品のセールスなどもしていたところ右事故による傷害により約二ヶ月間休業を余儀なくされ売上が減少して得べかりし利益を失ったことが認められる。

しかし右逸失利益の額については《証拠省略》によるも売上減少額、利益率共におおよその数額であって原告主張の金額を認めるにたらず他にこれを認めるにたりる証拠はない。

なお原告は通院交通費等を主張するが、《証拠省略》もこれを認めさせるに充分ではなく、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の傷害の部位、程度、後遺障害、休業損害の存した事実及び前記1認定の事情並びに諸般の事情を総合すると原告の慰謝料としては金六二万円が相当である。

そうすると、原告の損害は合計金六五万八、〇〇〇円となる。

原告が本件訴訟を原告代理人弁護士に委任したことは記録上明らかであるが、右弁護士費用のうち金六万五、〇〇〇円は本件と相当因果関係のある損害と認められる。

13  原告阿部ミエ子

《証拠省略》によれば、原告の年令、職業は別紙(二)「原告らの損害及び請求金額一覧表」の該当欄記載のとおりであるが、原告は本件事故により頸部捻挫、左肩打撲、両上膊、肩胛後頸部打撲傷の傷害を受け、昭和四八年九月八日から同月三〇日まで仙台鉄道病院に通院加療し(実日数四日)、又同月一〇日から一三日まで大森医院に通院加療したこと(実日数四日)、右事故により原告は着衣のワンピース(価格二万円相当)がガラスで切れて使用不能になったこと、右仙台鉄道病院ヘタクシーで通院した交通費金二万一、〇〇〇円を要したこと、又原告は夫と共に阿部薬店を経営していたが、原告が右受傷により療養中アルバイトを頼み右薬店の手伝等をしてもらったが、右アルバイト料として金五万円を支払ったことが認められる。

なお原告は後遺症が残り、治療のため医薬品を使用した旨主張するが、後遺症の点については《証拠省略》もこれを認めさせるにたらず右薬品代については《証拠省略》のみでは、前記1認定の被告側の医療のための事後処置、医療費負担の事実等に照らして相当性を認め難く、他に右原告主張事実を認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の傷害の部位、程度及び前記1認定の事情並びに諸般の事情を総合すると同原告の慰謝料としては金六万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金一五万一、〇〇〇円となる。

原告が本件訴訟を原告代理人弁護士に委任したことは記録上明らかであるが、右弁護士費用のうち金一万五、〇〇〇円は本件と相当因果関係のある損害と認められる。

14  原告佐藤真知子

《証拠省略》によれば、原告は昭和二七年六月二〇日生れで原告佐々木正の経営する丸正薬局に店員として勤務しているものであるが、本件事故により右頬部打撲及び血腫、右肘打撲、右肩打撲、前歯折損の傷害を受け、事故当日の昭和四八年九月八日伊藤外科病院の治療を受け、同月一〇日から同月二六日まで公立登米病院に通院加療し(実日数六日)、同月一八日から同月二一日まで古川市立病院に通院加療し(実日数二日)、又管野歯科医院に同年九月中通院したこと、本件事故により原告はセーター(価格三、〇〇〇円相当)が血液で汚損し使用できなくなったこと、右管野歯科医院に治療費六万二、〇〇〇円を支払ったこと、通院費用及び診断書料として一、六〇〇円を要したこと、本件事故による負傷のため前記勤務先を約二〇日間休み給料の支給は受けたが精勤手当三、〇〇〇円の支給は受けられず同額の損害を受けたことが認められる。

なお原告は後遺症の存在を主張するが、《証拠省略》のみから右後遺症の存在をにわかに肯認し難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の受傷の部位、程度、前記1認定の事情、その他諸般の事情を総合すると原告の慰謝料としては金八万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金一四万九、六〇〇円となる。

原告が本件訴訟を原告代理人弁護士に委任したことは記録上明らかであるが、右弁護士費用のうち金一万四、〇〇〇円は本件と相当因果関係のある損害と認められる。

15  原告浅野須美子

《証拠省略》によれば、原告は昭和二〇年一月三日生れで原告佐々木正の経営する丸正薬局に店員として勤務し、夫とその母、妹及び当時二才未満の子と同居して生活していたが、本件事故により後頭部打撲、頸椎捻挫、右大腿、左第一趾挫創の傷害を受け、事故当日の昭和四八年九月八日東北労災病院で治療を受け、同月一〇日から同年一一月二三日まで片倉病院に通院加療したこと(実日数四六日)、右事故により原告は下着、靴下等(価格一、五〇〇円相当)がガラスの破片で切れるなどして使用不能になったこと、右通院に利用したタクシー代として金三、二四〇円を要したこと、右負傷により原告は前記勤め先を事故当日から同月一六日まで休み給料は支給されたが、精勤手当三、〇〇〇円の支給を受けられず同額の損害を受けたことが認められる。

なお原告は右傷害の後遺症が残り、又治療のため医薬品を用いた旨主張するが、《証拠省略》のみでは右後遺症の存在を肯認するにたりないし、又前記1認定の被告側の医療のための事後処置、医療費負担の事実等に照らして、右医薬品の使用の相当性を認めることも困難であり、他にこれらを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の傷害の部位、程度、前記1認定の事情その他諸般の事情を総合すると原告の慰謝料として金二五万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金二五万七、七四〇円となる。

原告が本件訴訟を原告代理人弁護士に委任したことは記録上明らかであるが、右弁護士費用のうち金二万五、〇〇〇円は本件と相当因果関係のある損害と認められる。

16  原告佐々木つやの

《証拠省略》によれば、原告は昭和一一年一月四日生れで親戚に当る原告佐々木正の経営する丸正薬局に店員として勤務している者であるが、本件事故により顔面挫傷、胸部挫傷、左第二肋骨亀裂骨折、左第三肋骨肋軟骨境界亀裂の傷害を受け、事故当日の昭和四八年九月八日渋谷病院と伊藤外科病院とにおいて治療を受け、同月一〇日から同年一一月二三日まで片倉病院に通院治療し(実日数四二日)たこと、右片倉病院へタクシーを利用して通院した交通費として一万五、一二〇円を要し、又診断書の交付を受けた費用として一、〇〇〇円を支払ったこと、右事故による負傷のため勤め先を同年一〇月一五日まで休みその間の給料は支給されたが、精勤手当三、〇〇〇円の支給を受けられず同額の休業損害を被ったことが認められる。

なお原告は治療のため医薬品を使用し、又現在においても後遺症が存する旨主張するが、《証拠省略》のみでは右後遺症が存するものとは断じ難く、又前記1認定の被告側の医療のための事後処置等に照らすと、医薬品の使用が相当因果関係のあるものとも認め難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の傷害の部位、程度、前記1認定の事情その他諸般の事情を総合すると原告の慰謝料としては金二五万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金二六万九、一二〇円となる。

原告が本件訴訟を原告代理人弁護士に委任したことは記録上明らかであるが右弁護士費用のうち金二万六、〇〇〇円は本件と相当因果関係のある損害と認められる。

17  原告氏家和子

《証拠省略》によれば、原告は昭和二四年四月二八日生れで原告佐々木正の経営する丸正薬局に店員として勤務し、夫とその両親、兄弟及び当時生後三ヶ月の子と同居して生活していた者であるが、本件事故により上腹部打撲、左大腿擦過傷、左下腹部、腰部、右肩部打撲傷の傷害を受け、昭和四八年九月八日東北労災病院で治療を受け、同月一〇日から同年一〇月三〇日まで片倉病院に通院して加療したこと(実日数二三日)、右事故により原告の着衣が汚れそのクリーニング代に三〇〇円を要したこと、右片倉病院への通院のためタクシーを利用した交通費として金三、〇〇〇円を支弁し、又診断書の交付を受けた料金一、〇〇〇円を支払ったこと、右負傷により原告は右勤め先を同年九月一四日まで休み、その間の給料は支給されたが精勤手当三、〇〇〇円の支給は受けられず、同額の休業損害を被ったことが認められる。

原告は右の他に治療のための医薬品代及び後遺症の存在を主張するが、《証拠省略》のみでは右後遺症が存するものとは断じ難く、又前記1認定の被告側の医療のための事後処置等に照らすと、右医薬品の使用が相当性あるものとも認め難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の負傷の部位、程度、前記1認定の事情その他諸般の事情を総合すると原告の慰謝料としては金一八万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金一八万七、三〇〇円となる。

原告が本件訴訟を原告代理人弁護士に委任したことは記録上明らかであるところ、右弁護士費用のうち金一万八、〇〇〇円は本件と相当因果関係のある損害と認められる。

18  原告千葉秀子

《証拠省略》によれば、原告の年令、職業は別紙(二)「原告らの損害及び請求金額一覧表」の該当欄記載のとおりであるが、原告は本件事故により左前腕打撲、頸部打撲、背部打撲の傷害を受け、昭和四八年九月八日から同月一七日まで仙台鉄道病院に通院して治療を受けたこと(実日数四日)、右事故により原告は着衣のワンピース(価格二万円相当)がガラスの破片で切れ血痕で汚損するなどして使用不能になり、パールのイヤリング(価格一万六、〇〇〇円相当)を紛失したこと、原告は、ミルテ薬局を経営し、妹の原告引地隆子をパートタイムで使用していた者であるが、本件事故により右のように負傷し後記のように原告引地も負傷したため休業を余儀なくさせられ得べかりし利益を失ったことが認められる。

なお原告は治療のため医薬品を使用した旨主張するが、《証拠省略》のみでは、前記1認定の被告側の医療のための事後処置等の事実に照らして、右医薬品代を相当性のある出費とは認め難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の負傷の部位、程度、休業により損害を被った事実及び前記1認定の事情、並びに諸般の事情を総合すると、原告の慰謝料として金一〇万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金一三万六、〇〇〇円となる。

原告が原告代理人弁護士に本訴を委任したことは記録上明らかであるが、右弁護士費用のうち金一万三、〇〇〇円は本件と相当因果関係のある損害と認められる。

19  原告千葉八重子

《証拠省略》によれば、原告千葉八重子は、明治四〇年二月二五日生れで原告千葉秀子の母で夫と共に生活し無職であるが、本件事故により顔面、右肩、右手関節打撲の傷害を受け、昭和四八年九月八日から同月一七日まで仙台鉄道病院に通院して治療を受けたこと(実日数三日)が認められる。

原告は本件事故により高血圧症の後遺症が残った旨主張するが、《証拠省略》のみでは本件事故により右後遺症が残ったものと断定し難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の負傷の部位、程度、前記1認定の事情、その他諸般の事情を総合すると原告の慰謝料として三万円が相当である。

原告が原告代理人弁護士に本件訴訟を委任したことは記録上明らかであるが、右弁護士費用のうち金三、〇〇〇円が本件と相当因果関係のある損害と認められる。

20  原告引地隆子

《証拠省略》によれば、原告は昭和一〇年一月一〇日生れで姉である原告千葉秀子の経営する前記薬局にパートタイムで勤務していた者であるが、本件事故により両手背打撲、背痛の傷害を受け昭和四八年九月八日から同月一七日まで仙台鉄道病院に通院加療したこと(実日数四日)が認められる。

なお原告は治療のため医薬品を使用した旨主張するが、《証拠省略》のみでは前記1認定の被告側の講じた医療措置、医療費負担の事実等に照らして右医薬品代を相当因果関係のある損害とは認め難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の傷害の部位、程度、前記1認定の事情、その他諸般の事情を総合すると原告の慰謝料としては金三万円が相当である。

原告が原告代理人弁護士に本件訴訟を委任したことは記録上明らかであるところ、右弁護士費用のうち金三、〇〇〇円は本件と相当因果関係のある損害と認められる。

21  原告枡沢智子

《証拠省略》によれば、原告は昭和一五年七月二七日生れで夫と共にますざわ薬局、ますざわ酒店を経営し、夫、両親及び当時八才と六才になる子供らと同居していたが、右六才の女児と共に本件事故に遭い、原告は本件事故により右頸部右肩打撲、頸部捻挫の傷害を受け、事故当日の昭和四八年九月八日仙台市立病院で治療を受け、同日から同月一二日まで伊藤外科病院に入院加療し、同日から同月二九日まで仙台鉄道病院に入院して治療し、同月三〇日から同年一〇月二四日まで同病院に通院加療し(実日数四日)、同月二九日から昭和四九年二月二八日まで道又外科医院に通院加療したこと(実日数四六日)、右入院に伴い諸雑費を要し、又右各通院に自家用車を使用したガソリン代とタクシー代を要したこと、右負傷により薬局及び酒類販売の仕事を休み売上が減少して得べかりし利益を失ったことが認められる。

《証拠省略》中には右入院諸雑費として約五万円を要したとの部分があるが、入院一日当り五〇〇円の割合による一万一、〇〇〇円が相当性のある損害と認められ、又《証拠省略》中には右通院交通費として六万円を要し、売上減少額が一二五万円であるとの部分があるが、前者については算出の根拠が何ら示されておらず、後者については薬品と酒類とでは利益率が異るところ、右売上減少の内訳が不明確であること等から右逸失利益を算定し難く、他にこれらを認めるにたりる証拠はない。

なお原告は本件事故による傷害として流産を主張するが、《証拠省略》によるも、右は本件事故後の妊娠が流産したものであり、本件事故との因果関係を肯認すべき証拠はなく、又治療のため医薬品を用いたとも主張するが、右医薬品代については、《証拠省略》のみでは前記1認定の被告側の講じた医療のための事後処置等に照らして、その相当性を認め難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の負傷の部位、程度、休業損害等の存した事実、前記1認定の事情、その他諸般の事情を総合すると原告の慰謝料として金七二万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金七三万一、〇〇〇円となる。

原告が原告代理人弁護士に本件訴訟を委任したことは記録上明らかであるところ、右弁護士費用のうち七万三、〇〇〇円は本件と相当因果関係のある損害と認められる。

22  原告及川幹子

《証拠省略》によれば、原告は昭和一九年一月九日生れで父と共に株式会社及菊薬局を経営しているものであるが、本件事故により、右肘打撲擦過創、右大腿打撲、右腸骨部挫傷、右肩関節挫傷の傷害を受け、昭和四八年九月八日渋谷病院に、翌九日仙台鉄道病院に通院して治療を受け、同月一〇日から昭和四九年二月二五日まで山崎整形外科医院に通院加療し(実日数六三日)、昭和五〇年一〇月一六日から昭和五二年九月二五日頃まで右肩胛関節部打撲後遺症により小泉医院に通院加療したが、右後遺症が残ったこと、右事故により原告はスカーフ(価格一、五〇〇円相当)を紛失し、スラックス(価格五、〇〇〇円相当)をガラスの破片で切って使用不能となり同額の損害を受けたこと、通院交通費二万七、三六〇円を要したこと、原告は右負傷により仕事を休んだため売上が減少し得べかりし利益を失ったが、その金額については《証拠省略》のみではこれを認め難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

又原告は治療のため医薬品を使用した旨主張するが、《証拠省略》のみでは、前記1認定の被告側の講じた医療のための事後処置等に照らしてその相当性を肯認し難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の傷害の部位、程度、後遺症、休業損害のあった事実及び前記1認定の事情並びに諸般の事情を総合すると、原告の慰謝料としては金一二〇万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金一二三万三、八六〇円となる。

原告が本件を原告代理人弁護士に委任したことは記録上明らかであるが、右弁護士費用のうち一二万三、〇〇〇円は本件と相当因果関係のある損害と認められる。

23  林崎初枝

《証拠省略》によれば、原告の年令、職業は別紙(二)「原告らの損害及び請求金額一覧表」の該当欄記載のとおりであるが、原告は本件事故により前頭部裂創、胸部打撲、左大腿部挫傷(筋膜断裂)、背部打撲、左下腿打撲、頸部捻挫の傷害を受け、昭和四八年九月八日から同月一一日まで伊藤外科病院に入院して頭部裂創の縫合手術等の治療を受け、同月一二日から同月二二日まで岩手県立北上病院に入院して治療を受け、同月二三日から同月二六日まで同病院に通院加療し(実日数一日)、同年一〇月一日から同年一二月三日まで柔道整復師高橋秀方に通院加療したこと(実日数三六日余)、同年一一月七日から同月一九日まで花巻市大沢温泉に湯治をしたこと、本件事故により原告はべっ甲のネックレス(価格三、八〇〇円相当)を紛失し、スーツ上下(価格一万五、〇〇〇円相当)と下着類(価格二、〇〇〇円相当)が血で汚損し、前者については一旦クリーニングに出したが結局使用不能になって同額の損害を受けたこと、右通院のため初めタクシーを利用し後バスを利用した交通費三、七二〇円を要したこと、前記頭部の手術の際頭髪を剃ったのでかつらを着けることとし代金一万四、〇〇〇円を支払ったこと、入院中諸雑費約一万円を要したこと、原告は夫及び息子の妻と共に林崎楽局を経営していたが原告が右負傷により休業したことにより売上が減少し利益が減少したことが認められ、右入院諸雑費のうち一日当り五〇〇円の割合による金七、五〇〇円が相当性のある出費と認められる。

原告主張の右休業損害については、《証拠省略》によるも大雑把な金額であることが窺われ、《証拠省略》のみから右損害額をにわかに肯認し難く、他にこれを認めるにたりる証拠はなく、右湯治の費用についても《証拠省略》のみではその相当性を認め難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

又、原告は後遺症の存在と治療のための医薬品代を主張するが、《証拠省略》のみでは右後遺症があるものとは断じ難く、前記1認定の被告側の講じた医療のための処置、治療費負担の事実等に照らすと、右医薬品代も相当性のある出費とは認め難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の傷害の部位、程度、休業損害のあった事実、前記1認定の事情、その他諸般の事情を総合すると原告の慰謝料として金四一万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金四五万六、〇二〇円となる。

原告が原告代理人弁護士に本件訴訟を委任したことは記録上明らかであるところ、右弁護士費用のうち金四万五、〇〇〇円は本件と相当因果関係のある損害と認められる。

24  原告柳沢妙

《証拠省略》によれば、原告の年令、職業は別紙(二)「原告らの損害及び請求金額一覧表」の該当欄記載のとおりであるが、原告は本件事故により右上肢、左前腕、右下肢、左膝部挫創、背部挫傷、右胸部打撲の傷害を受け、昭和四八年九月八日から同月一〇日まで渋谷病院に入院治療し、同月二二日から同年一〇月三日まで沼宮内病院に通院加療したこと(実日数五日)、右事故により原告はハンドバッグと腕時計を破損しその修理代として九、〇〇〇円を要し、レインコート(価格二、一〇〇円相当)を紛失し、スカート等が汚損したためクリーニング代として八八〇円を要したこと、通院のためタクシー代三二〇円を要し、診断書料一、五〇〇円を支払ったこと、入院諸雑費を要したことが認められ、右入院諸雑費中入院一日当り五〇〇円の割合による一、五〇〇円が本件と相当因果関係のある損害と認められる。

原告は医薬品代を主張するが、前記1認定の被告側の医療のための措置、治療費の負担等の事実に照らすと、《証拠省略》のみではその相当性を肯認し難く、他にこれを認めるにたりる証拠はなく、原告主張の後遺症については《証拠省略》のみではこれを認め難く、付添看護料及び栄養費についてはこれを認めるにたりる証拠がない。

前認定の原告の負傷の部位、程度、前記1認定の事情、その他諸般の事情を総合すると、原告の慰謝料としては金六万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金七万五、三〇〇円となる。

原告が原告代理人弁護士に本件訴訟を委任したことは記録上明らかであるところ、右弁護士費用のうち七、〇〇〇円が相当因果関係のある損害と認められる。

25  原告畠山節子

《証拠省略》によれば、原告は大正一四年六月二五日生れで夫の経営する畠山薬局を手伝っている者であるが、原告は本件事故により左季肋部、左上腹部、左腕関節部挫傷、右下腿打撲、左第一〇肋骨骨折、左側頭部亀裂骨折、腎損傷の傷害を受け、昭和四八年九月八日渋谷病院で治療を受け、同月九日仙台鉄道病院に通院して治療を受け、同月一〇日から同年一一月五日まで岩手労災病院に入院して治療を受け、同月六日から昭和四九年六月三日まで同病院に通院加療し(実日数は週一日程度)、更に同年一〇月一七日から昭和五〇年六月二五日まで同病院に通院加療した(実日数は週に一日程度)が、右頭部外傷の後遺症として時々頭痛、耳鳴りなどの障害が残ったこと、右事故により原告は着衣のワンピース、下着及びスーツケースが血で汚損するなどして使用不能になり二万二、〇〇〇円の損害を受けたこと、右通院にタクシーを利用し五万二、〇二〇円を支払ったこと、右入院に伴い諸雑費を要したこと、右負傷によって原告が休業したため家事等のアルバイトを頼み同人らに金一六万八、〇〇〇円を支払ったこと、売上が減少して得べかりし利益を失ったことが認められ、右入院諸雑費は一日五〇〇円の割合による金二万八、五〇〇円であると推認されるが、右売上減少による休業損害は《証拠省略》もこれを認めさせるにたらず他にこれを認めるにたりる証拠はない。

又その余の物損の主張及び医薬品代についてはこれを認むべき証拠がない。

前認定の原告の傷害の部位、程度、後遺症及び休業損害のあった事実、前記1認定の事情その他諸般の事情を総合すると、原告の慰謝料としては一一六万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金一四三万〇、五二〇円となる。

原告が原告代理人弁護士に本件訴訟を委任したことは記録上明らかであるところ、右弁護士費用のうち金一四万三、〇〇〇円が相当因果関係のある損害と認められる。

26  原告岩淵京子

《証拠省略》によれば、原告の年令、職業は別紙(二)「原告らの損害及び請求金額一覧表」の該当欄記載のとおりであるが、原告は本件事故により左腰部打撲の傷害を受け、事故当日の昭和四八年九月八日東北労災病院の、翌九日仙台鉄道病院の治療を夫々受け、又事故当時妊娠二ヶ月であったが切迫流産により吉田医院に同年一〇月五日入院し治療の結果切迫流産の症状が落着いたので同月一三日一旦退院したものの、同月一八日進行中の流産の状態となり再度同医院に入院し、妊娠継続不可能のため同月一九日人工妊娠中絶を行ない、同月二〇日退院し、以後同年一一月一日まで同医院に通院加療したこと(実日数六日)、右事故により原告のブラウス(価格三、〇〇〇円相当)が破損して使用不能となり、右吉田医院への通院交通費として三、五〇〇円を要したことが認められ、《証拠省略》によれば、右事故による肉体的精神的衝撃と右切迫流産との間に因果関係があるものと認められ(る。)《証拠判断省略》

前認定の原告の受傷の部位、程度、切迫流産の事実とその経過、前記1認定の事情その他諸般の事情を総合すると、原告の慰謝料として金六二万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金六二万六、五〇〇円となる。

原告が原告代理人弁護士に本件訴訟を委任したことは記録上明らかであるが、右弁護士費用のうち六万二、〇〇〇円は相当因果関係のある損害と認められる。

27  原告岩淵敦子

《証拠省略》によれば、原告は昭和一九年一一月二九日生れで夫と共に岩淵薬局を経営し、当時四才を頭に三人の子があった者であるが、本件事故により右手関節部挫傷、右腰、大腿、肩、上腕打撲の傷害を受け、事故当日の昭和四八年九月八日仙台労災病院、翌九月九日仙台鉄道病院に夫々通院して治療を受けたこと、右事故により原告はハンドバッグ(価格八、〇〇〇円相当)が破損して使用不能となり、着衣が汚れたのでクリーニング代六五〇円を要したことが認められる。

なお原告は右のほかに治療費(医薬品代)を要し、事故後、頭痛、目まい、腰痛などの後遺症が残った旨主張するが、《証拠省略》のみでは右後遺症の存在を肯認し難く、右医薬品の使用についても前記1認定の被告側の講じた医療のための措置等に照らすと、その相対性を認め難く、他にこれらを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の受傷の部位、程度、前記1認定の事情その他諸般の事情を総合すると原告の慰謝料として二万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金二万八、六五〇円となる。

原告が原告代理人弁護士に本件訴訟を委任したことは記録上明らかであるところ、右弁護士費用のうち二、〇〇〇円は本件と相当因果関係のある損害と認められる。

28  原告合沢佳寿子

《証拠省略》によれば、原告は大正一二年一一月一二日生れで合沢薬店の名称で一人で薬種商を営む者であるが、本件事故により右上腕打撲、胸部打撲、右第三肋骨軟骨皹裂骨折、胸背部、腰部挫傷の傷害を受け、昭和四八年九月八日仙台鉄道病院で治療を受け、同月一〇日から同年一〇月二三日まで山崎整形外科医院に通院加療したこと(実日数二四日)、その後心臓発作を起し県立釜石病院に通院加療したこと、右事故により原告はストッキング(価格三〇〇円相当)を破損して使用不能となり、スーツが汚れたためクリーニング代六〇〇円を要したこと、右山崎整形外科医院への通院交通費として二万五、四八〇円を要したことが認められる。

ところで右心臓発作が本件事故に起因するものであることについては《証拠省略》もこれを認めさせるに充分ではなく、他にこれを認めるにたりる証拠はなく、原告主張の治療費は右釜石病院の治療費であると認められるので本件と因果関係のある出費と認め難く、休業損害も《証拠省略》によれば、大部分は右心臓発作によるものであることが窺われ、治療のための薬品代については《証拠省略》のみではその相当性を肯認し難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の受傷の部位、程度、前記1認定の事情、その他諸般の事情を総合すると、原告の慰謝料として金一七万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金一九万六、三八〇円となる。

原告が本件訴訟を原告代理人弁護士に委任したことは記録上明らかであるところ、右弁護士費用のうち金一万九、〇〇〇円は本件と相当因果関係のある損害と認められる。

29  原告大森和子

《証拠省略》によれば、原告は昭和二九年五月二七日生れで本件事故当時原告小田島専司が代表取締役をしている株式会社田島屋薬局に店員として勤務していた者であるが、本件事故により顔部、左手左膝部挫傷、背部打撲症の傷害を受け、事故当日の昭和四八年九月八日渋谷病院の治療を受け、翌九日仙台鉄道病院の治療を受け、同月一一日から同月二一日まで岩手県立花巻厚生病院に通院して治療を受けたこと(実日数二日)、又同年一二月二〇日椎管内障により同病院でけん引療法を受けたがかえって腰痛がひどくなり入院して同月二二日退院したこと、その後、時々起る腰痛を訴えて昭和四九年一〇月一七日同病院の診療を受け腰仙移行椎の診断を受けたこと、更に急性背部痛により昭和五〇年二月一四日から同年四月一五日まで同病院に入院し、同年四月二二日岩手県立中央病院において腰痛症の病名で診療を受け、同年五月一日から同年八月二日まで打撲による腰椎神経痛症ということで畠山鍼灸師の治療を受け、同月中に中川整形外科医院において腰仙部変性性関節症、椎管内症の診断名により診療を受け、同月一二日から同年九月三日までと昭和五一年六月二五日から同年一〇月二三日まで阿部治療院に通院して治療を受けたことが認められる。

ところで、右昭和四八年一二月二〇日以降に診療を受けた椎管内障、腰仙移行椎、急性背部痛などと本件事故との因果関係については、《証拠省略》のみではこれを肯認し難く、かえって、《証拠省略》によれば、事故後九月二一日までは腰部の疾患は認められず、事故後三ヶ月余を経過した後に右椎管内障が発症したものであること、右疾病はけん引療法を受けているうち急激に症状が増悪し入院せざるを得なくなったものであること、腰仙移行椎は先天性のものであることが認められ、これらの事実に《証拠省略》を総合すると、右事故との因果関係を認めることは困難である。

原告主張の腰椎用コルセット代、はり治療代、治療費、入院雑費は、《証拠省略》によれば、いずれも、右本件事故との因果関係を認め難い昭和四八年一二月二〇日以降に診療した疾病に関して生じたものであることが認められるから、本件事故との因果関係を認め難く理由がない。前認定の本件事故により被った原告の傷害の部位、程度、前記1認定の事情、その他諸般の事情を総合すると、原告の慰謝料として金五万円が相当である。

原告が本件訴訟を原告代理人弁護士に委任したことは記録上明らかであるが、右弁護士費用のうち金五、〇〇〇円を以て本件と相当因果関係のある損害と認められる。

30  原告東海林利恵

《証拠省略》によれば、原告の年令、職業は別紙(二)「原告らの損害及び請求金額一覧表」の該当欄記載のとおりであるが、原告は本件事故により左眉毛部挫創、左結膜下出血、項部挫傷、左肩上腕、右下腿挫傷、皮下出血の傷害を受け、昭和四八年九月八日から同月一九日まで渋谷病院に入院して治療し、同月一九日仙台鉄道病院に通院して加療したこと、右事故により原告は着衣のシャツブラウス(価格一、二〇〇円相当)、ハンカチ二枚(価格二〇〇円相当)が血で汚損するなどして使用不能となり、スーツをクリーニングに出して五〇〇円を要したこと、入院諸雑費として六、〇〇〇円以上を要したこと、入院後は一週間は眼底出血の疑いがあるという理由で安静を命じられて付添を要し、姉などの近親者が付添ったことが認められ、右入院諸雑費のうち六、〇〇〇円が相当性のある出費と認められ、右付添費は一日二、〇〇〇円の割合による一万四、〇〇〇円が相当と認められる。

右のほかに原告は栄養費、雑費、入通院交通費を主張するが、これらが相当性のある出費であることを認めるにたりる証拠はない。

又原告は現在後遺症が残っている旨主張するが、《証拠省略》のみから右後遺症が残っているものとは断定し難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の受傷の部位、程度、前記1認定の事情、その他諸般の事情を総合すると、原告の慰謝料として一〇万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金一二万一、九〇〇円となる。

原告が本件訴訟を原告代理人弁護士に委任したことは記録上明らかであるが、右弁護士費用のうち一万二、〇〇〇円が本件と相当因果関係のある損害と認められる。

31  原告馬場智恵子

《証拠省略》によれば、原告は昭和一五年一月一六日生れで原告東海林利恵と同じく有限会社金子安兵衛商店に店員として勤務している者であるが、本件事故により外傷性ショック、左膝打撲、頸部捻挫の傷害を受け、昭和四八年九月八日から同月一五日まで伊藤外科病院に入院治療し、同月一七日から昭和四九年一〇月二九日まで八戸赤十字病院に通院して加療したこと(実日数二七日)、右事故により原告は着衣のブラウス、下着(価格三、三五〇円以上)が破損して使用不能となり、右八戸赤十字病院に通院したタクシー代及びバス代として八、〇〇〇円以上を要したこと、伊藤外科病院入院中諸雑費四、〇〇〇円以上を要したことが認められ、右入院雑費のうち四、〇〇〇円は本件と相当因果関係のある損害と認められる。

右のほかに原告は休業損害と後遺症の存在を主張するが、《証拠省略》のみから右原告主張事実をにわかに認め難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。前認定の原告の受傷の部位、程度、前記1認定の事情、その他諸般の事情を総合すると原告の慰謝料として三八万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金三九万五、三五〇円となる。

原告が本件訴訟を原告代理人弁護士に委任したことは記録上明らかであるが、右弁護士費用のうち三万九、〇〇〇円が損害賠償を請求し得べき費用と認められる。

32  原告松谷貴寿

《証拠省略》によれば、原告は昭和三年三月一一日生れで夫の経営するまつや保健堂を手伝い、販売、相談等を担当していた者であるが、本件事故により頸部捻挫、頭部、頸肩部、背部打撲傷の傷害を受け、昭和四八年九月八日及び翌九日仙台鉄道病院に通院して治療を受け、同月一〇日から同年一一月六日まで藤坂診療所に通院加療し(実日数二九日)、同年一二月頃から昭和四九年三月頃まで上田療院にマッサージ治療に通院したこと、右藤坂診療所への通院に利用したタクシー代として一万五、〇〇〇円以上を要し、医師に対する謝礼など諸雑費として一万円以上を要したこと、右負傷により一〇日間位休業して売上が減少し得べかりし利益を失ったことが認められるが、右逸失利益の額については《証拠省略》のみではこれを認めるにたらず他にこれを認めるにたりる証拠はない。

又原告は現在後遺症が残っている旨主張するが《証拠省略》のみでは右後遺症があるものとは断定し難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の受傷の部位、程度、休業損害の生じた事実、前記1認定の事情その他諸般の事情を総合すると原告の慰謝料として金二八万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金三〇万五、〇〇〇円となる。

原告が原告代理人弁護士に本件訴訟を委任したことは記録上明らかであるところ、右弁護士費用のうち三万円が相当因果関係のある損害と認められる。

33  原告佐々木州

《証拠省略》によれば、原告は、昭和四年九月九日生れで薬種商販売業の許可を有する夫と共に佐々木薬店を経営している者であるが、本件事故により右頸肩部挫傷の傷害を受け、昭和四八年九月九日仙台鉄道病院で治療を受け、同月一〇日から同年一〇月二〇日まで町立三戸病院に通院して治療を受けたこと(実日数二七日)、右通院のためタクシー三回位(片道五〇〇円)、その余はバス(片道一〇〇円)を利用し七、八〇〇円を要したこと、その後右肩関節周囲炎により昭和四九年六月六日から同年七月一九日まで南部外科病院に通院して加療したことが認められる。

ところで右肩関節周囲炎は前記受傷の部位とほぼ同じところであることが認められるけれども、《証拠省略》によれば右三戸病院の昭和四八年一〇月二〇日の治療をもって前記挫傷は治癒し、後遺症はないと診断されていることが認められ、右事実と右の関節周囲炎が翌年六月に発現したものであること等からすると、本件事故との因果関係をにわかに肯認し難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。又《証拠省略》によれば右三戸病院通院加療中の雑費は見舞客に対する謝礼であることが窺われるが、そうであるとすれば本件受傷と相当因果関係のある出費とは認め難く、原告主張の休業損害については、《証拠省略》によれば右三戸病院への通院によって原告が休業し売上が減少して得べかりし利益を失ったことは認められるが、右減少額及び利益率については《証拠省略》のみでは原告主張事実を認め難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の受傷の部位、程度、売上が減少した事実、前記1認定の事情その他諸般の事情を総合すると原告の慰謝料としては金二〇万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金二〇万七、八〇〇円となる。

原告が本件訴訟を原告代理人弁護士に委任したことは記録上明らかであるが、右弁護士費用のうち金二万円が本件と相当因果関係のある損害と認められる。

34  原告浄法寺信子

《証拠省略》によれば、原告の年令、職業は別紙(二)「原告らの損害及び請求金額一覧表」の該当欄記載のとおりであるが、本件事故により原告は左腰部打撲、頸部捻挫、外傷性頸部症候群、左腰背部打撲傷、左肩外傷性関節炎、肩拘縮の傷害を受け、昭和四八年九月八日、同月九日の二日間仙台鉄道病院に通院して治療を受け、同年九月一〇日から同年一一月七日まで三沢市立病院に通院加療し(実日数一三日)、又同年一〇月二日から同月三〇日まで横枕鍼灸マッサージ治療院でマッサージ治療を受け、同年一一月一〇日から同年一二月七日まで十和田温泉病院に入院して治療を受けたこと、右三沢市立病院と横枕治療院への通院にタクシーを利用しその費用一万二、〇〇〇円を支払ったこと、右横枕治療院にマッサージ代として三万円を支払ったこと、又右入院に伴い諸雑費として一万四、〇〇〇円以上を要したこと、本件負傷により原告が休業しその間アルバイトを一人雇い、一ヶ月四万五、〇〇〇円を三ヶ月以上支払ったことが認められ、右入院雑費のうち一万四、〇〇〇円、アルバイトに支払った給料の三ヶ月分一三万五、〇〇〇円は本件負傷と相当因果関係のある出費と認められる。

右のほか原告は栄養費及び医薬品代を主張するが、《証拠省略》のみでは前記1認定の被告側の医療のための措置及び治療費負担の事実等に照らして本件受傷と相当因果関係のある出費とは認め難く、他にこれを認めるにたりる証拠はなく、又《証拠省略》によれば本件受傷により原告が休業して売上が減少し、得べかりし利益を失ったことが認められるが、《証拠省略》のみでは原告主張の金額を認め難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の負傷の部位、程度、売上減少の事実、前記1認定の事情その他諸般の事情を総合すると原告の慰謝料として金五五万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金七四万一、〇〇〇円となる。

原告が原告代理人弁護士に本件訴訟を委任したことは記録上明らかであるところ、右弁護士費用のうち金七万四、〇〇〇円は本件と相当因果関係のある損害と認められる。

35  原告石井恵子

《証拠省略》によれば、原告は、昭和二三年二月一九日生れで両親の経営する株式会社石井薬店に店員として勤める傍ら茶道教授をしている者であるが、本件事故により左肩甲部、臀部、大腿、右手首、足関節、後頭部、背部打撲傷の傷害を受け、昭和四八年九月八日岩崎医院、同月九日仙台鉄道病院の各通院治療を受け、同月一〇日から同月一五日まで神外科医院に通院して治療を受け(実日数五日)、同月一九日から同年一二月一五日まで斎藤外科医院に通院して治療を受けたこと(実日数八日)、右事故により原告はセーター、スカート、下着(価格一万七、八〇〇円相当)がガラスの破片で破れるなどして使用不能になり、ハンドバッグ(価格一万四、〇〇〇円相当)の金具がとれ、靴(価格四、八〇〇円相当)のベルトが切れるなどしていずれも使用不能になったこと、右通院のためタクシーを利用し一万六、〇〇〇円を要したこと、前記のように茶道教授をして一人三、〇〇〇円の月謝で一〇人程度に教えているところ、右事故による負傷により二ヶ月以上休業して六万円以上の得べかりし利益を失ったことが認められる。

原告は右休業期間を昭和四八年一二月までの四ヶ月である旨主張し、これに副う《証拠省略》もあるけれども、《証拠省略》によれば、右神外科医院の通院の終期である九月一五日の時点で治癒、後遺障害なしと同医院で診断され、斎藤外科医院への通院実日数は同年九月が三日、一〇月が四日、一二月が一日であることが認められ、右事実によれば、茶道教授という職業の特殊性を考慮しても、右受傷と相当因果関係のある休業期間は二ヶ月であると認められる。又原告は薬店を休んだことによる損害を主張するが、《証拠省略》と《証拠省略》とでは相互に矛盾しかつ算定の根拠も明確でないのでそのいずれも採用し難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

右のほか原告は医薬品代を主張するが、前記1認定の被告側の講じた医療のための措置等に照らすと、《証拠省略》のみではその相当性を認め難く、他にこれを認めるにたりる証拠はなく、又原告主張の後遺症については、《証拠省略》も、前記医師の診断書である《証拠省略》に照らすと、これを認めさせるに充分ではない。

前認定の原告の受傷の部位、程度、前記1認定の事情その他諸般の事情を総合すると原告の慰謝料として金一五万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金二六万二、六〇〇円となる。

原告が本件訴訟を原告代理人弁護士に委任したことは記録上明らかであるところ、右弁護士費用のうち金二万六、〇〇〇円が相当因果関係内の損害と認められる。

36  原告石井タエ

《証拠省略》によれば原告は、大正一〇年一〇月一〇日生れで株式会社石井薬店の代表取締役として夫と共に同店を経営している者であるが、本件事故により前頭部挫創、頸部、右側胸、左大腿、左足関節打撲の傷害を受け、昭和四八年九月八日岩崎医院、翌九日仙台鉄道病院に夫々通院して治療し、同月一〇日から同月一五日まで神外科医院に通院して加療し(実日数六日)、同月一九日から同年一〇月一九日まで斎藤外科医院に通院加療したこと(実日数五日)、右事故により原告は眼鏡がとばされて紛失したので代りの眼鏡を購入し二万七、九〇〇円を支払ったこと、ハンドバッグ(価格二万七、〇〇〇円相当)が破損し、着物(価格四万八、〇〇〇円相当)が破損及び汚損していずれも使用不能となったこと、帯をクリーニングに出し一、八〇〇円を要したこと、右神外科及び斎藤外科への通院のためタクシーを利用し、その料金として一万三、〇〇〇円を要したことが認められる。

右のほか原告は医薬品を使用した代金を主張するが、前記1認定の被告側の講じた医療のための措置等に照らすと、《証拠省略》のみでは右医薬品代が相当性のある出費であるとは認め難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

又《証拠省略》によれば、原告は株式会社石井薬店の代表取締役であるが、本件負傷により原告が休業したため原告は報酬を減額されなかったものの右会社の売上が減少し、得べかりし利益を失ったことが認められるところ、右逸失利益の額については《証拠省略》のみではこれを認めるにたらず、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

なお原告主張の後遺症についてはこれに副うような《証拠省略》もあるが、前記神外科医院、斎藤外科医院の診断書である《証拠省略》の記載に照らして右後遺症の存在を肯認するにたらず他にこれを認めるにたりる証拠はない。前記認定の原告の受傷の部位、程度、原告の経営する会社の売上が減少した事実、前記1認定の事情その他諸般の事情を総合すると、原告の慰謝料として金一八万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金二九万七、七〇〇円となる。

原告が原告代理人弁護士に本件訴訟を委任したことは記録上明らかであるところ、右弁護士費用のうち二万九、〇〇〇円は本件と相当因果関係のある損害と認められる。

37  原告大久保チヨ

《証拠省略》によれば、原告は大正一三年一〇月一三日生れで夫や息子と共に大久保薬店を経営している者であるが、本件事故により頸部、右肩部、腰背部打撲、右外傷性頸部症侯群の傷害を受け、昭和四八年九月八日東北労災病院、翌九日仙台鉄道病院の各通院治療を受け、同月一〇日から同月二九日まで神外科医院に通院して治療を受け(実日数七日)、同年一〇月一日から昭和五〇年七月一九日まで(実日数二一四日)及び昭和五一年六月一〇日梶野整形外科医院に通院して治療を受けたが、後遺症として頸椎の運動痛(特に横屈、回転)、頭重、右項部頸部の筋緊張の増強と圧痛、組織の肥厚等局部に頑固な神経症状を残したこと、右事故により原告はスーツ(価格二万円相当)、ハンドバッグ(価格五、〇〇〇円相当)が破損して使用不能になったこと、右神外科及び梶野整形外科への通院交通費として一〇万四、八〇〇円を要したこと(神外科の分は前記通院実日数からして七、〇〇〇円と認める。)、右梶野整形外科医院に治療費として四、二〇〇円、診断書料として一、〇〇〇円を支払ったこと、マッサージ代として長生館工藤に七、五〇〇円を支払ったことが認められる。

右のほか原告は医薬品を用いた旨主張するが、前記1認定の被告側の医療のための措置等の事実に照らして、《証拠省略》のみではその相当性を認め難く、又《証拠省略》によれば、昭和五一年一月一〇日頃に至ってバイブレーターを購入したことが認められるが、《証拠省略》のみではその相当性を肯認し難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

又《証拠省略》によれば、原告が右負傷によって休んだため薬店の売上が減少したことが認められるが、逸失利益の額については《証拠省略》のみでは原告主張事実を認めるに充分ではなく、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の負傷の部位、程度、後遺症とその程度、売上減少の事実、前記1認定の事情その他諸般の事情を総合すると原告の慰謝料として金一一四万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金一二八万二、五〇〇円となる。

原告が本件訴訟を原告代理人弁護士に委任したことは記録上明らかであるが、右弁護士費用のうち一二万八、〇〇〇円が相当因果関係内の費用と認められる。

38  原告西村洋子

《証拠省略》によれば、原告は昭和一〇年六月二七日生れで西村薬店を経営していた者であるが、本件事故により胸部、左膝蓋部打撲傷、膝関節血腫の傷害を受け、昭和四八年九月八日、九日の二日間仙台鉄道病院に通院して治療を受け、同月一九日から同年一〇月二七日まで益川外科医院に通院して加療したこと(実日数三四日)、右事故により原告は新調のワンピース(価格五万円相当)が破損し、補修したが価値が半減したこと(したがって損害としては二五、〇〇〇円を相当とする。)、右益川医院へ通院のためタクシーを利用した代金四、〇〇〇円以上を要したこと、原告の夫は銀行員であって、原告一人が薬店を経営していたため右負傷により休業し、売上が減少して得べかりし利益を失ったことが認められる。

右のほか、原告は治療のため医薬品を用いた費用を主張するが、前記1認定の被告側の講じた医療のための措置、医療費負担の事実等に照らすと、《証拠省略》のみでは右費用が原告の受傷と相当因果関係のある費用とは認め難く、又原告主張の逸失利益の額についても《証拠省略》のみではこれを認めるに充分ではなく、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の受傷の部位、程度、売上減少の事実、前記1認定の事情その他諸般の事情を総合すると原告の慰謝料として金二四万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金二六万九、〇〇〇円となる。

原告が本件訴訟を原告代理人弁護士に委任したことは記録上明らかであるところ、右弁護士費用のうち金二万六、〇〇〇円が相当因果関係内の費用と認められる。

39  原告勝倉脇子

《証拠省略》によれば、原告は昭和一二年一月二〇日生れで夫の父が代表取締役をしている株式会社永井屋薬局に勤めている者であるが、本件事故により左腰部打撲傷の傷害を受け、昭和四八年九月一〇日仙台鉄道病院、同月一四日志津川組合病院に夫々通院して治療を受け、昭和四九年九月一一日から同年一〇月二八日まで同病院に通院加療したこと(実日数は三日に一回位の割合)、右事故により原告は洋服のクリーニング、しみ抜き代として一、五〇〇円を要し、仙台鉄道病院への通院交通費として五、四八〇円を支払ったこと、診断書料として一、〇〇〇円を要したことが認められる。

右のほか原告は治療のため用いた医薬品代を主張するが、前記1認定の被告側の医療のための措置等に照らして、《証拠省略》のみでは右出費の相当性を肯認し難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。

前認定の原告の負傷の部位、程度、前記1認定の事情その他諸般の事情を総合すると、原告の慰謝料として金一〇万円が相当である。

そうすると原告の損害は合計金一〇万七、九八〇円となる。

原告が原告代理人弁護士に本件訴訟を委任したことは記録上明らかであるが右弁護士費用のうち金一万円が本件と相当因果関係のある損害と認められる。

40  原告佐々木正

前記14ないし17認定の事実並びに《証拠省略》によれば、原告は妻と共に丸正薬局を経営し、女子店員四人、男子店員二人(いずれも夜間定時制高校に通学していた)を使用していた者であるが、本件事故により右四人の女子従業員である原告佐藤真知子、同浅野須美子、同佐々木つやの、同氏家和子が負傷し、右佐藤が一六日、浅野が一一日、佐々木は三一日、氏家が一〇日夫々欠勤したが、その間の給料合計金一二万二、四〇〇円を右原告らに支払い、又アルバイトを雇い同人らに合計金一五万円を支払い、右金額の損害を被ったこと、右のように女子従業員が同時に欠勤したため売上が減少したことが認められる。

原告は休業損害として逸失利益を主張し、右認定のように売上が減少した事実は認められるが、右減少額については、《証拠省略》によると、《証拠省略》によってもこれを算出することができず、他に原告主張の額を認めるにたりる証拠はない。

同原告は慰謝料を請求するけれども、同原告は本件事故により受傷した者ではなく、右の財産上の損害をうけたにすぎないものであるから、同原告の慰謝料は認められない。

そうすると原告の損害は合計金二七万二、四〇〇円となる。

原告が本件訴訟を原告代理人弁護士に委任したことは記録上明らかであるところ、右弁護士費用のうち金二万七、〇〇〇円が本件と相当因果関係のある損害と認められる。

41  以上の各原告らの弁護士費用を含めた総損害額は別紙(一)「原告別請求・認容額一覧表」の「認容額」欄記載のとおりとなる。

四  結論

よって、原告らの本訴請求は、原告石川孝子を除く原告らにおいて被告京成運輸に対し別紙(一)「原告別請求・認容額一覧表」の「認容額」欄記載の各金員及びこれに対する不法行為の後である昭和四九年七月一二日から完済まで年五分の割合による遅延損害金、原告石川孝子、同佐々木正を除く原告らにおいて被告国鉄に対し右同額の各金員並びにこれらに対する訴状送達の翌日であることの記録上明らかな昭和四九年一二月一二日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当であるからこれを認容し、原告石川孝子の被告らに対する請求、原告佐々木正の被告国鉄に対する請求(被告国鉄の前示商法五九〇条の損害賠償責任は債務不履行責任であると解されるところ、原告佐々木正は旅客ではなく、同原告と被告国鉄との間には旅客運送契約はないから、同原告の被告国鉄に対する請求は棄却すべきである。)及びその余の原告らのその余の請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤和男 裁判官後藤一男、同竹花俊徳はいずれも転補のため署名押印できない。裁判長裁判官 伊藤和男)

〈以下省略〉

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